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甲斐拓也の幼少期からの生い立ちや経歴!家族構成・両親の情報も

大分県大分市出身の甲斐キャノンこと甲斐拓也選手。

強肩の持ち主と言われている福岡ソフトバンクホークス所属のキャッチャーで東京五輪の代表選手に選出されています。

そんな野球界の強肩捕手甲斐拓也選手ですが、

・生い立ちやどういった経歴を持っているのだろう?

・家族構成や両親・兄弟の情報も気になる

と思っているあなたのために、

今回は甲斐拓也選手の幼少期からの生い立ちや経歴や家族情報についてまとめてみました。

甲斐拓也の生い立ちや経歴

それでは早速ですが、甲斐拓也選手の生い立ちや経歴についてまとめてみました。

幼少期から高校、現在までどのような歩みを描いてきたのか確認してみましょう。

甲斐拓也の幼少期

大分県大分市で生まれた甲斐選手。
地元は、大分駅からは南に位置し、電車で10分余り、3つ目か4つ目、JR豊肥本線の敷戸駅、大分大学前駅あたりが地元です。
そんな甲斐選手が野球に触れるようになったのは小学生からだで、3歳年上のお兄さんの影響ではじめたそうです。

甲斐拓也の小学生〜中学時代

甲斐拓也選手の小学校時代は、詳しい情報が得られませんでした。

ただし、画像があり、画像を見る限り、所属チームは光新少年野球団ということになりますね。

現在このチームは東稙田小学校のグランドで練習をしているようなので、出身小学校は東稙田(ひがしわさだ)小学校ということでしょう。

中学校は稙田東(わさだひがし)中学校
筆者も大分市出身で、この中学校のイメージは山の上にあって、通学が大変だなぁというイメージです。朝の通学時には坂道を上るので、足腰が鍛えられるのではないでしょうか!
甲斐選手は野球部ではなく、大分リトルシニアに所属していました。この大分リトルシニアでは捕手ではなくセカンドであったようです。正確な送球は、 セカンドの経験も活かされているのでしょう。
大分リトルシニア時代には全国大会にも出場しています。この頃から素質がある選手だったのでしょうね。

高校は、大分市の私学楊志館(ようしかん)高校へ進学します。

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甲斐拓也の高校時代〜日本代表キャッチャーになるまで

甲斐選手は高校からキャッチャーへと転身します。
もともと甲斐選手は野球を始めた時からキャッチャーを志望しており、念願がかなった瞬間となります。
気になるのは甲子園出場についてですが、
甲斐選手のお兄さんは甲子園に出場していますが、甲斐選手は出場はしていません。
最後の夏の大会では、今ではチームメイトの今宮健太選手率いる明豊高校に抑えられ、最後の大会はここ幕を閉じます。

甲子園出場をはたせていなくても、プロ入りする選手は多く、たいていそのような選手は個の力がずば抜けています。
甲斐選手は打撃の部分も捕手とは思えない成績を残しています。
なんと高校時代の通算本塁打数は40本!!
ほかにプロ野球選手で高校時代に通算40本を記録したのは現中日の福留孝介選手がいます。
かなりすごい力ということがわかりますね・・・。汗

夏の大会の引退後、甲斐選手は大学進学か就職を迷っていたそうです。

そこで、高校時代の恩師で監督の宮地弘明さんが、甲斐選手を福山龍太郎スカウトに紹介したんだそうです。
スカウト側も将来の活躍が見越せる選手でないと、入団を認めるわけにはいきません。

・打ち方が木製バットに向いていない
・身長が小さい
・キャッチングからスローイングが速い

福山龍太郎スカウトは甲斐選手を高く評価していなかったそうです。
しかし、その年から3軍制度を設けようとしていたホークス。
幸運が重なり、甲斐選手の育成での入団が決まりました。
その年にこの制度が生まれていなかったら…。恐ろしいですね。

2010年のドラフトでは、12球団で97人が指名を受けたが、甲斐の名前が呼ばれたのは94番目でした。

甲斐拓也の現在

育成で入団した甲斐選手。
登録名は「拓也」。背番号は130
1年目の2011年は3軍戦のみにとどまります。
2年目の4月に公式戦であるウエスタンリーグに初出場!この年は二軍公式戦で20試合に出場し、7試合の先発マスクもかぶります。
3年目は3軍の試合に83試合出場のため、ウエスタンリーグの出場は4試合のみとなりましたが、この年のシーズンオフに晴れて支配下選手に登録されます!背番号も130から62にかわりました。
育成選手は3年を経過後に育成契約を結ばれない場合は自由契約になるため、3年で期待される選手にまでレベルがあがったということなんです。
そしてこのオフには、各球団の若手有望選手でつくられる台湾のウインターリーグへ派遣され着実に足場を固めていきます。

そして4年目・5年目は春季キャンプでA組に抜擢され開幕を1軍メンバーとして迎えます!
しかしなかなか結果が出せないままでいた甲斐選手。
6年目の2016年。チャンスがやってきます。
6月に行われた交流戦のヤクルト戦で、タイムリー二塁打を放ちます!
この年は3番手捕手として13試合に出場しました。
そして7年目の2017年。
甲斐選手は登録名を「<strong甲斐拓也」に変更します。
開幕3戦目の、千葉ロッテマリーンズ戦で東浜巨投手とバッテリーでプロ入り初の先発マスクをかぶります。
このシーズン序盤は、東浜投手と、育成同期入団の千賀投手と多くバッテリーを組み、ベテランの和田投手、摂津投手は髙谷捕手という組み合わせが多くありましたが、東浜投手、千賀投手の登板が多くなった中盤からは、先発マスクをかぶることが多くなりました。
この年、ホークスはなんと日本一になります!
ホークスの正捕手は甲斐拓也」といっても過言ではありませんね。

そしてこの年のオフ、10月12日に開催された第1回アジアプロ野球チャンピオンシップの日本代表に選ばれます!
2018年には盗塁阻止率.447で12球団の捕手の中で唯一の4割り超を記録します!
約2回に1回刺されるなんてたまったもんじゃありませんね・・・。
オフには育成出身の選手として初のゴールデングラブ賞</strong賞を受賞します。

2019年には背番号「19」に変更。
ホークスで捕手がこの背番号をつけるのは、野村克也さん以来となります。
2020年も活躍し続け、刺殺・捕殺・守備率でリーグ1位とまります。
また同期入団の千賀滉大投手とともに、最優秀バッテリー賞を受賞します。

育成で入団し、ここまで活躍できるなんて、並大抵の努力では出来ないと思います。
本当に苦労をしながら野球に取り組んでこられたんでしょうね。

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甲斐拓也の家族構成や実家の情報

ここで、甲斐拓也選手の気になる家族構成や実家の情報についても調べてみました。

甲斐拓也の両親・兄弟(姉妹)・家族構成

先ほどもお兄さんがいることは少し触れましたが、甲斐選手は3人家族だそうです。

家族構成としては、

・母:甲斐小百合さん
・兄:甲斐大樹さん
・弟:甲斐拓也選手

ご両親は甲斐選手が2歳のころに離婚しており、母子家庭で育っています。
母・小百合さんは子どもたちのお迎えなどで融通が効くようにと、タクシーの運転手をしていたそうです。ただ、お兄さんの大学受験、甲斐選手の高校受験のときには、タクシー運転手とパチンコ店の清掃などの仕事を掛け持ちされていたそうです。
そんな甲斐選手は、ヒーローインタビューでもお母さんのことをお話しすることもあり、常に感謝の気持ちを持っているようです。素敵なご家族ですね。

甲斐選手、現在は結婚し、

・元幼稚園教諭の奥様
・息子さん
・愛犬のハナちゃん

と暮らしています。

甲斐拓也のプロフィールと戦績

名前 甲斐 拓也(かい・たくや)
生年月日 平成4(1992)年11月5日
身長 170cm
体重 85kg
出身地 大分県
出身校 楊志館高校
所属 福岡ソフトバンクホークス
背番号 19
ポジション キャッチャー
血液型 O型
主な獲得タイトル

(2019年以降)

ベストナイン:2回(捕手部門:2017年、2020年)

ゴールデングラブ賞:4回(捕手部門:2017年 – 2020年)

日本シリーズMVP:1回(2018年)

最優秀バッテリー賞:1回(2020年 投手:千賀滉大)

月間最優秀バッテリー賞:1回(2020年10月 投手:千賀滉大)

甲斐選手は、どれだけ周りに感謝されても、

投げた投手がすごいし、やってくれた投手が本当に頑張ってくれた結果だと思っている。結局そういうことだと思います。」

常にピッチャーへの感謝の気持ちを忘れない甲斐選手。人間として、1人の男として、そして1人の野球選手として申し分ないですね!私も見習いたいです!

甲斐拓也のプレースタイルや世間の声

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まとめ

今回は、甲斐拓也の幼少期からの生い立ちや経歴、家族構成についてまとめてみました!

最後に要点をまとめますと、

・野球を始めたきっかけは兄の影響。

・愛称は「甲斐キャノン」。

・実家の家族構成は姉1人の4人家族。

・愛犬の名前はハナちゃん。

感謝の気持ちを持ち続けている甲斐拓也選手。
母子家庭で育ったからこそ、その気持ちを人より大事にしているのかもしれません。

ホークスの正捕手が日本の正捕手として活躍してくれる事を期待して東京オリンピックを含め今後の甲斐選手の活躍にも是非注目してください!

それでは、ご覧いただきありがとうございました。