2021東京オリンピック重量挙げ女子59キロ級で銅メダルを獲得された安藤美希子選手。
記者会見時の車椅子と松葉杖での登場は印象的でした。限界まで自分を追い込むアスリート魂に感服しました。
オリンピックの女子重量挙げでのメダル獲得は、歴代二人目と輝かしい功績を残し、今後の活躍も期待される注目の選手です。
そんな女子重量挙げの安藤美希子選手ですが、東京オリンピック重量挙げ女子59キロ級にて銅メダルを獲得するまで、様々な苦悩や葛藤があったようです。
そこで今回は、
・家族構成や両親は?
「安藤美希子の幼少期からの生い立ちや経歴!家族構成・両親の情報も」
など、東京オリンピックで銅メダルを獲得するまでの歩みをまとめていきたいと思います。
安藤美希子の生い立ちや経歴
それでは早速ですが、安藤美希子選手の生い立ちや経歴についてまとめてみました。
幼少期から高校、現在までどのような歩みを描いてきたのか確認してみましょう。
安藤美希子の幼少期
千葉県白井市で生まれた安藤美希子選手。
小学校まで機械体操競技、中学からは陸上競技をしていました。
器械体操競技や陸上で培われたものがウエイトリフティングに活用されているのかもしれないですね!
安藤美希子の高校〜大学時代
体育教師を目指し、埼玉栄高校保健体育科へ入学します。
埼玉栄高校では、多くの部活から勧誘を受けますが、その中で興味を持ったのがウエイトリフティングでした。
その年の全国大会が沖縄で開催されること、飛行機に乗りたいという理由で入部したそうです。
なんとも素直な感想ですが、競技におけるモチベーションは大切ですよね!
この時に同学年として入部したのが水落穂南選手と八木かなえ選手です。
高校2年生から58キロ級で頭角を表しましたが、2010年3月高校選抜の試合を最後に、膝の半月板の手術・リハビリのため1年間競技を離れて治療に専念することを余儀なくされます。
2011年春から協議に復活し、平成国際大学へと進学します。
2011年6月全日本選手権を皮切りに、以下の輝かしい成績を残します。
全日本選手権日本新記録優勝(2011)
パリ世界選手権日本新記録(2011)
インカレ日本新記録(2011)
ロンドン五輪代表選考会を兼ねた全日本選手権優勝(2012)
輝かしい成績を残すも、ロンドン五輪代表の切符を掴むことができず、悔しい結果となりました。
2013年4月全日本学生選抜では、今まで苦手だった58キロ級のスナッチ・クリーン&ジャーク・トータルすべての日本記録保持者になることで、ロンドン五輪代表選考から外れた悔しさを克服します。
2014年9月仁川アジア大会において、自身のクリーン&ジャークとトータルの日本記録を更新し5位入賞を果たし、の入賞が評価され、2014年度スポーツ賞の競技団体別最優秀賞に選ばれました。
2014年にはリオ五輪出場選手枠を競う大会で9位になり、日本女子チームのリオ五輪出場枠のポイント獲得に貢献しました。12月のインカレではC&Jの日本記録を更新しインカレ4連覇を果たし、平成国際大学女子チームをチーム優勝へと導きました。
2015年より、いちごグループホールディングス・ウエイトリフティング部の選手兼任コーチに就任し、
全日本選手権の女子58キロ級で自身のもつ日本記録を更新し2年連続4度目の優勝を果たしました。
安藤美希子の現在
所属していたウエイトリフティング部を退社し、単身韓国へと渡っています。
更なる記録向上を目指し、以前日本代表のコーチを務めていた韓国人コーチに依頼して指導を受けているそうです。
2020年はコロナウイルスにより来韓が困難でしたが、その間もオンラインにてコーチの指導を受け、競技を続けます。
師を追って韓国に拠点を移すとは、相当な覚悟があったと思います。
安藤美希子の家族構成や実家の情報
ここで、安藤美希子選手の気になる家族構成や実家の情報についても調べてみました。
安藤美希子の両親・兄弟(姉妹)・家族構成
安藤美希子選手の家族構成としては、
母:安藤貴子さん
兄弟(姉妹)についての詳しい情報は有りませんでした。
ご両親は一般の方のようですが、父親の美生さんが安藤美希子選手が小学一年生の時に、
突然脳出血で倒れてしまいました。
後遺症が残っていまい、右半身の不自由と会話ができなくなってしまったそうです。
そこで、父の介助と競技を両立するため、合宿や遠征以外はなるべく実家で過ごすようにしていたそうです。
ご両親にとっても、安藤選手の活躍が希望だったそうです。
そこでできた家族の強い絆が、今回の輝かしい成績に結びついたのかもしれません。
安藤美希子のプロフィールと戦績
名前 | 安藤美希子(あんどう・みきこ) |
---|---|
生年月日 | 平成4(1992)年9月30日 |
身長 | 155cm |
体重 | 59kg |
出身地 | 千葉県 |
出身校 | 埼玉栄高校(埼玉県) |
所属 | FAコンサルティング |
主な獲得タイトル (2015年以降) | 全日本選手権女子58キロ級優勝(2015) リオデジャネイロオリンピック女子重量挙げ58キロ級5位入賞(2016) 東京オリンピック重量挙げ女子59キロ級銅メダル獲得(2021) |
安藤美希子のプレースタイルや世間の声
東京オリンピック重量挙げ女子59キロ級で銅メダルを獲得するという快挙を成し遂げると、世間からは歓喜の声が多く上がっていました。
特に、地元の千葉県からはメダリスト発祥の地として喜ばしいなどという声が湧いていました。
女子ウエイトリフティング59キロ級
安藤美希子選手 銅メダルおめでとうございます!
千葉県の誇りです!!感動をありがとう!🏋️♀️🥉#citycastchiba #ウエイトリフティング https://t.co/OND7uwslac— スマイリー花 (@waraisuki) July 28, 2021
安藤美希子選手🥉メダル獲得おめでとうございます。
地元千葉県白井市盛り上がってます。お疲れ様。#NHK2020— kikuchan🐁(fuji) (@PGgr8o6kkg9Iyqc) July 27, 2021
安藤美希子選手120kgクリーン&ジャークでみごと銅メダル獲得しました!🥉
おめでとうございます!#ウエイトリフティング #オリンピック #東京2020 pic.twitter.com/k7LVXOtRiw— WeLiftWeights ウィーリフトウェイツ (@WeWeights) July 27, 2021
まとめ
今回は、安藤美希子の幼少期からの生い立ちや経歴!家族構成・両親の情報も」についてまとめてみました!
最後に要点をまとめますと、
・父親の介助と競技を両立してきた苦労人。
・ウエイトリフティングを始めたきっかけは沖縄に行きたかったから。
・小学校まで機械体操競技、中学より陸上競技をしていた。
・埼玉栄高校では水落穂南選手と八木かなえ選手とともに腕を磨いてきた。
・現在は拠点を韓国に移し韓国人コーチから直接指導を受けている。
高校生から始めた競技でめきめきと頭角を現してきた安藤選手ですが、所属していたウエイトリフティング部を退き、単身韓国へと渡り更なる記録向上を目指して競技をされています。
こうした、高い向上心とご家族の絆が後押しとなり、今回の銅メダル獲得に結びついたのかもしれませんね!
今後の安藤選手のさらなる活躍に期待をしながら是非注目してください!
それでは、ご覧いただきありがとうございました。