多田修平の幼少期からの生い立ちや経歴!家族構成・両親の情報も

陸上男子100mで活躍が期待されている多田修平選手。

得意のロケットスタートを武器に走り抜ける、大阪生まれのスプリンターです。

今一番注目されていると言ってもいい多田選手ですが、ここまでたどり着くまで、様々な苦悩や葛藤があったようです。

・生い立ちやどういった経歴を持っているのだろう?

・家族構成や両親・兄弟の情報も気になる

と思っているあなたのために、

今回は多田修平の幼少期からの生い立ちや経歴や家族情報についてまとめてみました。

目次

多田修平の生い立ちや経歴

それでは早速ですが、多田修平選手の生い立ちや経歴についてまとめてみました。

幼少期から高校、大学、現在までどのような歩みを描いてきたのか確認してみましょう。

多田修平の幼少期

大阪府東大阪市で生まれた多田選手。

そんな多田選手が陸上競技を始めるようになったのは中学生からだそうです。

多田修平の中学時代

東大阪市立石切中学校出身の多田選手。

鬼ごっこが大好きで、小学校の頃のかけっこは学年で3番くらいだったそうで、中学校で陸上部に入部し陸上競技を始めたという多田選手。

単に走ることが好きなだけで目立った成績は残せなかったという。

日本一の選手でも小学校のころから速かったわけではなかったのには驚きですね。

それでも大阪中学校総合体育大会では11秒52で5位に入賞しています。

転機が訪れたのは高校時代

高校はスポーツの強豪校である大阪桐蔭高等学校へと進学します。

多田修平の高校時代

高校の陸上部の顧問の先生から練習日誌を付けるように勧められ、練習日誌を付けるようになります。
そこには大きな目標をまず決め、それを踏まえて1か月、今日と小さな目標を立てていくものだったそうです。
毎日書き続けることで、頭の中に自然と目標とやるべきことが刷り込まれたそうです。

その甲斐もあり高校3年生の時にはインターハイで6位に入賞します。

しかし多田選手は当時をこのように振り返っています。

「僕は大阪府大会で5位通過、近畿大会も5位通過でどちらギリギリだったんです。そこ片インターハイで6位に入ったんですが、高校時代は全国レベルで優勝できるとは考えなくて、大学に入ってからある程度の成績が残せればいいかなと考えていました。」
引用元: NumberWeb

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多田修平の大学時代

そして高校を卒業し、2015年に関西学院大学へ進学。

大学進学を機に多田選手は一気に飛躍しました。

1年次には関西学生陸上競技対校選手権大会(関西インカレ)では1年生ながら優勝し翌年の関西インカレでも大会記録で連覇を達成しました。
このあたりから日本代表として世界と戦いたいという気持ちが芽生え始めたそうです。

2017年この年に多田選手の注目度は上がります。
この年に多田選手は初めて海外での合宿に参加し、その際に元世界記録保持者のアサファ・パウエル(ジャマイカ)と合同練習を行いました。

その結果同年に行われたジャスティン・ガトリン(アメリカ)、ケンブリッジ飛鳥、サニブラウンなどの選手が出場したゴールデングランプリ川崎で3位に入りました。

多田選手の勢いは止まらず、ゴールデングランプリ川崎の翌月の日本学生陸上個人選手権大会では準決勝で追い風参考記録ながら9秒94(追い風4.5m)をマークし、決
勝では自己ベストを大幅に更新する10秒08(追い風1.9m)で優勝しました。

同年の日本選手権ではサニブラウンに次ぐ2位となり世界選手権大会の日本代表に選出されました。

世界選手権の4×100mリレーでは第1走を務め(多田-飯塚-桐生-藤光)、38秒04で銅メダルを獲得しました。
また印象に残っている試合について多田選手はこの世界選手権のリレーをあげています。

「初めて日本代表に選出され、日の丸を背負って走り、銅メダルを獲得できたことは非常に印象に残りました。」

引用元:住友電工陸上競技部

自己記録の大幅更新、世界選手権でメダル獲得と、まさに2017年は多田選手にとって飛躍の年になったのではないでしょうか。
こんなにも飛躍できることは一流選手の出会いはかなり刺激的だということが分かりますね!

しかし翌年の2018年の日本選手権では山縣、ケンブリッジ飛鳥、桐生、小池に敗れ5位に終わり個人での日本代表入りを逃し「陸上人生で一番悔しい」と涙を流しました。

多田修平の現在

大学を卒業し、住友電工に入社。

社会人になっても着々と記録を伸ばしている多田選手。

さらなる転機が訪れたのは今年2021年です。
6月に行われた布施スプリントでは10秒01の自己ベストをマーク、と同時に東京五輪参加標準記録(10秒05)を突破しました。
また、この時の1着は山縣の日本新記録となる9秒95。

多田選手は桐生が日本記録出した時も2着、今回の山縣が日本記録を出した時も2着と目の前で2度も日本記録を出されています。
なかなか日本一になれず人一倍悔しい思いをしたのではないでしょうか。

しかし、ついに日本一になる瞬間が訪れます。

2021年日本選手権です。

この日本選手権で多田選手は10秒15をマークし山縣、サニブラウン、桐生、小池をおさえて初優勝、東京オリンピック日本代表に内定しました。

9秒台をたたき出した選手が4人もいたこの大会で優勝という素晴らしい実績を掲げ、新しい一歩を踏み出します。

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多田修平の家族構成や実家の情報

ここで、多田修平選手の気になる家族構成や実家の情報についても調べてみました。

多田修平の両親・兄弟(姉妹)・家族構成

多田選手は4人家族だそうです。

家族構成としては、

・父:多田秀明さん
・母:多田洋子さん
・弟

両親の年齢や職業などは明らかにされていません。
弟さんに関しては、名前も公表されていません。

多田修平のプロフィールと戦績

名前多田修平(ただ・しゅうへい)
生年月日1996年6月24日
身長177cm
体重68kg
出身地大阪府
出身校大阪桐蔭高校(大阪府)
所属住友電工
趣味一眼レフを使っての写真撮影
好きな食べ物お寿司
主な獲得タイトル日本選手権男子100m 2位(2017)

世界選手権4×100mR 銅メダル(2017)

国民体育大会100m優勝(2017)

世界選手権4×100mR 銅メダル(2019) アジア記録、日本記録

日本選手権室内60m優勝(2021)

日本選手権100m優勝(2021)

先ほども記載しましたが多田修平選手の一番の思い出に残る大会が、2017年世界陸上リレーでの銅メダルだそうです。

多田修平のプレースタイルや世間の声

なんといっても多田選手の持ち味はスタートダッシュ!

成績もさることながら、整った容姿も人気なようで、

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まとめ

今回は、多田修平の幼少期からの生い立ちや経歴、家族構成についてまとめてみました!

最後に要点をまとめますと、

・陸上を始めたきっかけは小学校の時から走るのが好きで中学で陸上部へ入部

・高校の顧問からの練習日誌を書くように言われ記録が伸びる

・大学時の海外合宿で元世界記録保持者アサファ・パウエルとの出会いが最大の転機

・家族構成は両親、弟1人の4人家族。

他の選手と比べると遅咲きの多田選手ですが、日々のトレーニングや100m一筋で記録が伸び悩んでも諦めず、愚直向き合ってきました。

このような真っすぐな性格がここぞというところでの勝負強さなのかもしれません。

それでは、ご覧いただきありがとうございました。

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