菅野智之の幼少期からの生い立ちや経歴!家族構成・両親の情報も

読売ジャイアンツの絶対的エースとして沢村賞も2度受賞した経歴をもつ菅野智之投手。

叔父に読売巨人軍監督の原辰徳氏を持つ、読売巨人軍所属のいわずと知れた日本プロ野球界のエースです。

そんな野球界のスター菅野投手ですが、これまでには様々な苦悩や葛藤があったようです。

そんな菅野投手の

・生い立ちやどういった経歴を持っているのだろう?

・家族構成や両親・兄弟の情報も気になる

と思っているあなたのために、今回は菅野智之の幼少期からの生い立ちや経歴や家族情報についてまとめてみました。

目次

菅野智之の生い立ちや経歴

それでは早速ですが、菅野智之投手の生い立ちや経歴についてまとめてみました。

幼少期から高校、現在までどのような歩みを描いてきたのか確認してみましょう。

菅野智之の幼少期

神奈川県相模原市で生まれた菅野投手。

名前の由来は出てきませんでしたが、画数も五行も全て良いですという
記事を見つけました。

(引用元:巨人・菅野智之さん姓名判断結果~スランプ乗り越えられる!活躍には名前も後押し

普通にお名前をつけてもこのような配列にはならないのだそう。

ご両親が考えに考えてつけてくださったのですね。

菅野智之の小学生〜中学時代

小学1年生で地元の軟式野球チーム 「東林ファルコンズ」 に所属。

当時菅野少年を指導した松井昭治さん、河野欣行さんは

「1年生のころからポジションは基本的にピッチャーです。体も大きかったし、球も速かった。少年野球は変化球が禁止なので、基本的には球の速い子がエースになる。智之も、そういうタイプでした」

と語っています。

チームの指導者、そしてチームメートは当然、菅野少年が有名監督の孫で、スーパースターの甥っ子であることを知っていた。ただ、チーム内で特別扱いされるようなことはなかったという。

「(菅野投手の父)菅野(隆志)さんにもチームのコーチをお願いしていましたが、練習中はあくまでも一人の投手として指導してくれていました。もちろん、自宅に帰れば個人指導や練習を見たりはしていたんでしょうが、チーム内ではしっかりと『線』を引いてくれた。私たちも必要以上に彼の家のことは意識せず、他の子どもたちと同じように指導していました」

とお父さんも熱心に菅野投手のことを指導されていたんですね。

中学でも菅野投手の活躍はとどまりません。

中学校は、相模原市立新町中学校
指揮官は、東海大相模OBの星野直人氏

菅野投手の存在は、ほかの部員にも大きかったようで、 好きな投手=菅野智之 と書く生徒もいたそうです。
そんな中学時代には、

・神奈川県大会優勝

この時には最速124km/hを投げたそうです。

中学生でこの速球が出せるとは、熱心に練習やトレーニングをしていたのでしょうね。

この活躍もあり高校、東海大相模高校へ進学します。

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菅野智之の高校時代〜大学時代

小学校、中学校時代と活躍した菅野投手、1年の時に右肩を故障し投げられない状態が続き野球を辞めようとしたそうです。

しかし東海大相模高校野球部のOBである父からの叱咤激励を受け、その後右肩は回復。

高校2年生の春の時にチームは甲子園センバツ大会に出場するも、ベンチ外。

現在のプロのマウンドで圧巻の存在とは想像もできないような平凡な投手。

菅野投手の高校時代といえば、2007年・夏の神奈川県大会準決勝、相手は名門・横浜高校戦の振り逃げ3ランという有名な逸話がありますね。

この時の横浜高校には、筒香嘉智選手(現レイズ)、倉本寿彦選手(現DeNA)、高濱卓也選手(現ロッテ)がおり、東海大相模には、大田泰示選手(現日本ハム)、友永翔太選手(現中日)がいました。

神奈川県の高校野球のレベルの高さがうかがえますね。

ただし、東海大相模は、決勝で桐光学園に8-10で敗れます。

驚く方もいるかもしれませんが、高校時代は3年間で甲子園出場は一度も果たせませんでした。
この時のことを菅野投手は、「挫折の連続だった」と、当時を振り返っています。

そして、物語は大学へと続きます。

東海大学へ進学後、高校時代の菅野投手の存在は勢いを増します。

東海大相模高校から首都大学野球連盟の強豪・東海大学へと進学した菅野投手は、1年春のシーズンから試合に登板し1年秋から先発を任されます。

大学時代は37勝4敗、防御率0.57という圧倒的な成績を残し、2度のMVPを獲得、2年から4年までの6季は最優秀投手に選ばれています。

菅野投手と同期では東洋大学の藤岡貴裕投手、明治大学の野村祐輔投手が東都大学野球連盟、東京六大学野球連盟でそれぞれ活躍しており、ドラフト前には「大学ビッグ3」と称され注目を浴びていた。

またリーグ戦以外でも菅野投手は、東都大学野球連盟や東京六大学野球連盟に比べるとレベルが劣ると言われていた、首都大学野球連盟の意地を見せます。4年間で大学選手権に3度、神宮大会に1度出場し10試合に登板。

50.2回を投げ52奪三振、防御率0.53と脅威的な成績を残したんです。

この実力を見せた菅野投手は「原監督の甥っ子」という評判ではなく、一人のプレーヤー、菅野智之という存在を知らしめます。

そして、2011年のドラフト会議

有名な話ですが、菅野投手は巨人一筋であり当時監督を務めていた「原監督の甥っ子」という大きなハードルがあり、巨人以外の11球団は実力を認めながらもドラフト指名しないものだと思われていました。ですが、日本ハムが強行指名。

入札が重複したために巨人と日本ハムで抽選を行いましたが、原監督は抽選を引かず命運を清武英利球団代表にゆだねました。一方、日本ハムは津田敬一球団社長が抽選に臨みます。

結果は日本ハムが交渉権獲得の当たりくじを引き、菅野投手の巨人入りは絶たれてしまったんです。しかし、菅野投手は日本ハムへの入団を拒否し、1年間の浪人を経て翌年2012年のドラフト会議に臨む。

その際は巨人が単独指名となり1年越しの巨人入団が叶うことになった。

菅野智之の現在

巨人入団後はエースの道へ
2012年ドラフトで巨人に入団した菅野投手。
1年目からローテーション投手として活躍し13勝6敗、防御率3.12。
2年目の菅野投手は12勝5敗、防御率2.33と1年目に匹敵する成績を残し、最優秀防御率を獲得。2年目のジンクスをものともしませんでした。リーグトップの3完投を含めリーグ優勝に貢献したことでMVPに輝きます。
2015年シーズンは防御率1.91ながら10勝11敗。
2016年シーズンは最優秀防御率となる防御率2.01をマークするも、二桁勝利に届かず9勝6敗の成績に終ってしまいました。

WBCでは代役エース
2017年開幕前に行われた第4回ワールド・ベースボール・クラシック。
日本代表のエースは大谷投手と日本国民誰もが思っていた。しかし、日本代表メンバー発表後に故障による辞退します。ここでエースとしての役割を追ったのが菅野投手なんです。
初登板は1次ラウンド2戦目となるオーストラリア戦。この試合は本拠地でもある東京ドームと言うことで菅野投手には圧倒的な投球が期待されていた。しかし、5回途中1失点と先制点を許してしまいます。
2次ラウンドのキューバ戦では、4回4失点とまたしても波に乗れませんでしたが、試合には勝ち、準決勝の地アメリカ・ロサンゼルスへと出発しました。
準決勝アメリカ戦で、菅野投手は今までの悔しさを晴らすかのような圧巻の投球を見せます。
強打のアメリカ打線を6回1失点(自責0)、被安打3、与四球1、奪三振6!アメリカ代表を率いるジム・リーランド監督も「菅野はメジャーリーグの投手だ」と絶賛していたそうです。
激闘を経て日本に戻ってきた菅野投手は予定されていた巨人の開幕戦登板を回避します。「予想以上に疲労がたまった」とコメントし、激闘のすごさを伝えてくれた。

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菅野智之の家族構成や実家の情報

ここで、菅野智之投手の気になる家族構成や実家の情報についても調べてみました。

菅野智之の両親・兄弟(姉妹)・家族構成

先ほどもお姉さんがいることは少し触れましたが、菅野投手は4人家族だそうです。
家族構成としては、

・父:菅野隆志さん
・母:菅野詠美さん
・姉:菅野奈那さん
・弟:菅野智之投手

 

菅野智之のプロフィールと戦績

名前菅野 智之(すがの・ともゆき)
生年月日1989(平成元年)年10月11日
身長186cm
体重92kg
出身地神奈川県
出身校東海大相模高校(神奈川県)
所属読売ジャイアンツ
ゴルフ歴9歳~
好きなスポーツ
(野球以外で)
ゴルフ
主な獲得タイトル
(2019年以降)
勝率第一位投手賞(2020)
最優秀防御率(2014、2016、2017、2018)
最多勝利投手賞(2017、2018、2020)
最多奪三振(2016、2018)
最優秀投手(2014、2020)
沢村栄治賞(2017、2018)
ベストナイン賞(2014、2017、2018、2020)
ゴールデングラブ賞(2016、2017、2018、2020)

菅野智之のプレースタイル

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まとめ

今回は、「菅野智之の幼少期からの生い立ちや経歴、家族構成についてまとめてみました!
最後に要点をまとめますと、

・野球を始めたきっかけは叔父(原辰徳氏)の影響。

・小学生からゴルフも経験

・家族構成は姉1人の4人家族

それでは、ご覧いただきありがとうございました。

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