アスリート

坂本勇人の幼少期からの生い立ちや経歴!家族構成・両親の情報も

兵庫県伊丹市出身の坂本勇人選手。
読売ジャイアンツ所属の東京五輪の代表選手としても選出されている、日本球界のスター選手です。
そんな日本球界のスター、坂本勇人選手ですが、

・生い立ちやどういった経歴を持っているのだろう?

・家族構成や両親・兄弟の情報も気になる

と思っているあなたのために、

今回は坂本勇人選手の幼少期からの生い立ちや経歴や家族情報についてまとめてみました。

坂本勇人の生い立ちや経歴

それでは早速ですが、坂本勇人選手の生い立ちや経歴についてまとめてみました。

幼少期から高校、現在までどのような歩みを描いてきたのか確認してみましょう。

坂本勇人の幼少期

兵庫県伊丹市で生まれた坂本選手。

名前の由来は、第58代総理大臣池田勇人さんから取ったもので、大きな人間になるようにと名付けられたと取材で話していました。

名前の由来の通り本当に野球ファンで知らない人はいないくらい大きな存在となる選手になりましたね!
そんな坂本選手が野球に触れるようになったのは小学生からだそうです。

坂本勇人の小学生〜中学時代

出身小学校は伊丹市立昆陽里(こやのさと)小学校

小学校1年生から野球を始め、所属チームは昆陽里小の生徒でつくる昆陽里タイガース

なんとこの時坂本選手はピッチャーで、バッテリーを組んでいたキャッチャーはなんと楽天イーグルスの田中将大投手なんです!

幼少期から、チームのメンバーだったお兄さんの練習に付いてきて、グラウンドの隅で壁に向かってボールを投げる遊びをしていたそうです。

監督として二人を6年間指導した山崎三孝さん(75)は「地道に努力を重ねた田中に対し、坂本は天才肌。アドバイスをすぐにマスターしました」とコメントしていました。

坂本選手は左利きで当時はスイッチヒッターだったそうです。しかし、田中投手やほかの生徒の右打者が左翼後方を直撃する豪快な打球を飛ばすのを見て、「ならば自分も」と右打ち一本に。山崎さんは、外角球を二塁手の頭上に打つすべを教え、「僕が大将」というタイプの自尊心をくすぐり、「二塁打を誰よりもたくさん打てるぞ」と。すると、すぐにコツをつかんだそうです。
正真正銘の天才肌ですね…。羨ましいです…。

そして中学校へと進学します。

出身中学校は伊丹市立松崎中学校。
所属チームはリトルシニアの伊丹シニアです。

伊丹シニア在籍時のコーチ田中力さんは当時の坂本選手について、

「中学の時は一匹狼だった。人とはあまり群れずに、やりたいことをとことんやる感じ。興味を示してコーチとかのところにもどんどん来ていた。だけど、面倒くさそうな練習だなと思うことには離れていった。昔から要領が良かったよ。全部やっていたら体がつぶれるからね。下級生の練習でも面白そうなことをやっていたら勇人も来る。けど、つまらなさそうと判断したら、すぐいなくなっていた(笑)。要領の良さというのかな(笑)。それがプロになる力だったのかもしれない。」

と語っています。

大会等については、リトルシニア所属のためか、詳しく出てきませんでした…。

スポンサーリンク

坂本勇人の高校時代〜日本代表になるまでまで

高校は、野球留学をした坂本選手。

兵庫県を離れて青森県八戸市の八戸学院光星高校へ進学します。
1年秋からショートのレギュラー。2006年3月25日、選抜高校野球1回戦で岡山県代表の関西高校と対戦し、3年生の坂本は4番・遊撃手として出場します。

1打席目は左適時打。2打席目はファウルフライ。3打席目は右安打を放ち、盗塁に成功する。4打席目はセンターフライ。5打席目は左安打で出塁して、再び盗塁に成功。5打数3安打1打点の活躍を見せたが、チームは4-6で敗れます。

そして高校3年時のドラフト。
読売ジャイアンツから堂上直倫外の外れ1位で指名。
「坂本って誰!?」当時はそんな声も聞かれました。
当時坂本選手は取材に対し、

「ジャイアンツの皆さんって優しいですか?自分、ちゃんと会話していただけるか不安で…」

と、今では信じられないくらい不安な様子を語っていたそうです。

坂本勇人の現在

坂本選手は2007年に入団後、首位打者賞や最優秀選手賞など数々のタイトルを獲得するなど、大活躍します。

2007年5月12日、兵庫県姫路市で行われた、イースタン・リーグの対北海道日本ハムファイターズ戦に、坂本選手は闘病中の母を招待します。
そして迎えた第1打席の初球、坂本選手はいきなりホームランを放ちました。その後も二塁打を放つ息子の大活躍に、母・輝美さんは涙を流して喜んでいたそうです。

試合後に坂本選手は、

おかんの体調が悪いっていうのは聞いていたので、最後の試合になるだろうなと思っていた…。

とコメント。輝美さんは、この試合の約1ヶ月後に亡くなりました。享年47歳でした。

2年目の2008年に全試合スタメン出場を果たすと、翌2009年は141試合、2010年から2014年までは5年連続で144試合に出場します。
2年目で全試合スタメン出場…。こんな経歴を持つ野球選手は数少ないでしょう。

これまでの最多安打は3年目・2009年の178。

2012年では、現・広島東洋カープの長野久義選手と並ぶ記録のヒット数となり、揃って最多安打賞を受賞します。本人は違うと言っていますが、最多安打を記録したヒットを打った時に、その後の打席に立つ予定だった長野が代打で送られ、坂本選手の目には涙が浮かんだように見えましたが、本人は否定しています(笑)

12年目の2018年には最高打率は.345を記録し、

13年目の2019年には、
173安打、40本塁打、94打点、打率.312
を記録します!素晴らしいとしか言いようがありませんね。

そんなジャイアンツは2007年から2009年までセ・リーグ3連覇を達成します!
2009年と2012年は日本シリーズを制して日本一に輝き、坂本選手は2015年から主将を務め、2019年、2020年、チームをセ・リーグ優勝に導きました!

今では無くてはならないジャイアンツ…いえ、日本球界を代表するエースですね!

さらなる飛躍に期待しましょう!

スポンサーリンク

坂本勇人の家族構成や実家の情報

ここで、坂本勇人選手の気になる家族構成や実家の情報についても調べてみました。
幼少のころにご両親が離婚。
坂本選手はお母さんに引きとられます。

坂本勇人の両親・兄弟(姉妹)・家族構成

坂本選手は4人家族だったそうです。
だったというのも、
坂本選手が幼いころにご両親は離婚されています。
家族構成としては、

・父:坂本喜代三さん
・母:坂本(松村)輝美さん(カッコ内は旧姓)
・長男:坂本勇太さん
・次男:坂本勇人選手
・三男:坂本勇斗さん

3兄弟そろって「勇」がつくお名前なんですね!
もし親戚だったら呼び間違えそうです(笑)
弟の勇人さんは現在坂本選手のマネージャーをされているそうです。
ハワイでの自主トレにも付き添っていたので、仲の良い兄弟なんでしょうね。
お顔もソックリだった気がします。
こうした家族のサポートも、坂本選手の強さの秘密かもしれませんね。

坂本勇人のプロフィールと戦績

名前 坂本 勇人(さかもと・はやと)
生年月日 昭和63(1988)年12月14日
身長 186cm
体重 80kg
出身地 兵庫県
出身校 光星学院(青森県)
所属 読売ジャイアンツ
血液型 AB型
好きなスポーツ

(野球以外で)

ゴルフ
主な獲得タイトル

(2019年以降)

首位打者賞(2016年)
最多安打者賞(2012年)
最高出塁率者賞(2016年)
最優秀選手賞(2019年)
ベストナイン賞(2009、2012、2016、2018〜2020年)
ゴールデングラブ賞(2016、2017、2019、2020年)

坂本勇人のプレースタイルや世間の声

スポンサーリンク



まとめ

今回は、「坂本勇人の幼少期からの生い立ちや経歴、家族構成についてまとめてみました!

最後に要点をまとめますと、

・野球を始めたのはを始めたきっかけは兄の影響。

・小学生時代ははピッチャーで、バッテリーは楽天田中将大投手!

・三兄弟の名前はみんな勇。

・家族構成はお母さん、兄1人弟1人の4人家族。

お母さんとの死別やコロナウイルスの感染など、沢山の苦悩も経験した坂本選手ですが、ジャイアンツのキャプテン、日本球界を代表するエースとして東京オリンピックでは輝く姿を見せてほしいですね。

それでは、ご覧いただきありがとうございました。