国枝慎吾の幼少期からの生い立ちや経歴!家族構成・両親の情報も

2021東京パラリンピック車いすテニス男子シングルスで見事に金メダルを獲得した国枝慎吾選手。

車いすテニス界のレジェンドとして君臨している国枝選手ですが、栄光を掴むまでの数々の困難がありました。

・生い立ちやどういった経歴を持っているのだろう?

・家族構成や両親・兄弟の情報も気になる

そこで今回は、国枝慎吾選手の幼少期からの生い立ちや経歴や家族情報についてまとめてみました。

目次

国枝慎吾の生い立ちや経歴

それでは早速ですが、国枝慎吾選手の生い立ちや経歴についてまとめてみました。

幼少期から高校、現在までどのような歩みを描いてきたのか確認してみましょう。

国枝慎吾の幼少期

 

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国枝慎吾選手は東京都で生まれ、千葉県柏市で育ったそうです。

国枝選手が車いすテニスに触れるようになったのは小学生の頃からだそうです。

国枝慎吾の小学生〜中学時代

小学校在学中の9歳の頃に脊髄腫瘍を発病し、小学4年生から車いす生活を余儀なくされた国枝選手。

小学生にはあまりにも残酷で厳しい現実を突きつけられることになりますが、悲観になることなく困難に立ち向かいます。

車いすバスケの存在を知った国枝選手は、車いすバスケのチームを探したものの見つからず。

小学6年生の頃にもともとテニスをやっていた母から車いすテニスを勧められたことにより車いすテニスを始めました。

千葉県柏市にある吉田記念テニス研修センターで、技術を磨き、当時から車いすテニスの才能があったそうです。

高校進学後はさらにその才能が開花します。

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国枝慎吾の高校時代〜大学時代

 

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千葉県柏市の麗澤高校進学後、1年生の時に初めての海外遠征を経験。

その参加した海外遠征では、当時車いすテニスで世界トップクラスに君臨していたリッキー・モーリエのプレーに感銘を受け、この頃から明確に「この競技で頂点を目指したい」という思いが強くなりました。

また、17歳のころからは数多くのパラリンピック出場選手を指導した丸山弘道コーチのもと指導を受けることに。

その指導のかいもあってか、麗澤大学進学後は破竹の勢いで勝ち続けます

麗澤大学進学後の2003年からやめることとなる2008年までの主な成績をまとめてみました。

-2003年-

・NEC全日本選抜車いすテニス選手権大会男子シングルス:優勝

-2004年-

アテネパラリンピック・ダブルス:金メダル

-2006年-

フェスピック(アジアの障害者スポーツ大会):優勝

-2007年-

年間グランドスラム(全豪オープン、ジャパンオープン、ブリティッシュオープン、全米ウィールチェアの4大会を制覇)

-2008年-

北京パラリンピック・シングルス:金メダル

北京パラリンピック・ダブルス:銅メダル

アテネパラリンピックや北京パラリンピックの大舞台でメダルを獲得するなど、毎年何かの大会では優勝をなし遂げています。

とくに2007年の年間グランドスラムは史上初となる快挙で、後に国枝選手はこの年間グランドスラムを4度達成することとなります。

国枝慎吾の現在

車いすテニス界のトッププレイヤーにまで上り詰めた国枝選手。

2010年には、車いすテニス初となる男子シングルス100勝を達成。

2016年には、車いすテニスの国別対抗団体戦ワールドチームカップで日本を11年ぶりの優勝に導く活躍。

そして2021年の東京パラリンピック。

男子シングルスで北京以来3つ目の金メダルを獲得しました。

3年後にはパリでパラリンピックが開催されますが、パリパラリンピックでも国枝選手の活躍が見られるかもしれませんね!

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国枝慎吾の家族構成や実家の情報

ここで、国枝慎吾選手の気になる家族構成や実家の情報についても調べてみました。

国枝慎吾の両親・兄弟(姉妹)・家族構成

国枝選手にはお姉さんが一人いるそうです。

また、結婚もしていて、アスリートフードマイスター3級という奥さんのサポートも国枝選手の強さの秘訣かもしれません。

国枝慎吾のプロフィールと戦績

名前国枝慎吾(くにえだ・しんご)
生年月日1984年2月21日
身長173cm
体重62kg
出身地千葉県柏市
経歴麗澤高校-麗澤大学

国枝選手の最大のライバルは最大のライバルは、フランスのステファン・ウデという選手です。

2006年に初めて試合で顔を合わせて以来、実に58回も対戦を重ねています。

対戦成績は国枝選手の45勝13敗と対戦成績には差があるものの、対戦成績以上にスコアは接戦が多いです。

また国枝選手の連勝記録を「107」でストップさせたのもウデ選手で、ウデ選手も「間違いなく、シンゴがナンバーワンだ」と語るなど、双方認めたライバル関係ですね!

国枝慎吾のプレースタイルや世間の声

多くの人が国民栄誉賞に値する選手だと認めています。

ここまで国民栄誉賞に言及される選手も珍しいのではないでしょうか。

世間も認める、それぐらいすごい選手なのだと実感できますね!

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まとめ

今回は、「国枝慎吾の幼少期からの生い立ちや経歴、家族構成」についてまとめてみました!

最後に要点をまとめますと、

・車いすテニスを本格的に始めたのは小学校から。

・当初は車椅子バスケをする予定だったが、チームが見つからず車いすテニスをすることに

・史上初の車いすテニス年間グランドスラム達成者

車いすテニス界のレジェンドとも言える国枝選手ですが、もし車椅子バスケのチームがあったら競技そのものをやっていなかった。

その可能性もあったと考えると少し運命的なものも感じますね!

それでは、ご覧いただきありがとうございました。

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