【バレーボール男子】西田有志の幼少期からのプロフィールや経歴         

【バレーボール男子】西田有志の幼少期からのプロフィールや経歴 

2023年9月30日から10月8日の日程で開催されるワールドカップバレー2023 男子大会。2024年のパリ五輪への切符をかけた熱き戦いが始まります。そのバレーボール男子日本代表でパリ五輪予選メンバー14名に選ばれているのが西田有志選手。昨年末に西田有志 彼女でバレーボール女子日本代表の古賀紗理那選手と結婚したことでも注目を集めました。そこで今回はバレーボール男子日本代表の西田有志選手のプロフィールや経歴について調べてみました!

目次

西田有志(にしだ ゆうじ)選手のプロフィール

  • 生年月日:2000年1月30日
  • 年齢:23歳
  • 出身地:三重県いなべ市
  • 身長:186cm
  • 血液型:O型
  • 出身校:海星高等学校
  • 所属:パナソニックパンサーズ
  • ポジション:オポジット(OP)

西田有志選手の経歴

西田選手が誕生した年に8歳上の姉と、6歳上の兄が、自宅近くにあったいなべ市のバレーボール少年団に入団。生後5カ月位から西田選手は両親に連れられ体育館に行っていたため、物心つく頃にはバレーボールで遊んでいたといいます。そして西田選手がバレーボールを始めたのは5歳の時。本来なら小学生から入団可能なところ、「お兄ちゃんと同じチームでやりたい!」と西田選手は訴え、コーチが「そこまで言うなら」と小学校入学前に大安ビートルへの入団を認めてくれたそうです。

いなべ市立石榑小学校時代

大安ビートルでは週3回の練習に励み、小学2年生の頃から試合に出場するようになり、3年生でレギュラーを獲得。ポジションはライトでした。そしてその夏に開催された2008年北京オリンピックで、バレーボール男子日本代表は16年ぶりに五輪出場。西田有志選手は初めて見る五輪の試合に夢中になったといいます。特に自分と同じ左利きのオポジット・清水邦広選手に釘付けになりました。そして「僕も清水さんみたいになって、オリンピックに出る!」と家族に宣言したそうですよ。

全日本バレーボール小学生大会三重県大会で優勝

五輪出場という大きな目標ができた西田有志選手は、4年生の時に全日本バレーボール小学生大会三重県大会で優勝し、全国大会にも出場。県内で屈指の強豪チームの主力選手にまで成長しました。6年生の時には主将を務め、三重県クラブバレーボール連盟の会長杯で優勝するなどチームを牽引しました。

いなべ市立大安中学校時代

中学校は地元の公立校に進学。小学校を卒業する時には強豪の中学校からの誘いもあったそうですが、全国の強豪というわけではなかったこともあり、地元中学への進学を決めました。中学2年生の時には三重県選抜として全国大会にも出場した西田有志選手ですが、大安中学校バレーボール部のチームメイトにはバレー経験者がおらず、また監督もバレーボール未経験者だったため、西田選手は指導者の役割も担っていたそうです。

海星高校バレー部との出会い

中学1年生からレギュラーだった西田有志選手は、夏前に海星高校バレーボール部(三重県四日市市)の練習に参加する機会があり、その時のプレーが当時の大西監督と藤田部長の目に留まったそう。高校生に劣らない西田選手のプレーを見て、すぐに「うちに進学してほしいな」と思ったそうです。同年6月には藤田部長の勧めで中学生クラブチーム「NFO オーシャンスター」に入団し、部活動と並行して、クラブチームの練習、海星高校バレー部にも定期的に参加するなど3つを掛け持ち。バレーボール漬けの日々を送っていました。

海星高等学校時代

中学卒業前には、近隣の強豪校8校から勧誘があり、その中にはバレーボール男子日本代表キャプテンの石川祐希選手の出身校である愛知県・星城高校や、三重県の全国大会常連校である松阪工業高校も含まれていたそうです。西田有志選手の母親は星城高校への進学を望んでいましたが、西田選手は「勝って当たり前のチームではなく、自分の力で強豪チームを倒したい」という思いが強くなり、海星高校への進学を決意しました。

松阪工業高校の壁は厚かった…

高校時代はやはり松阪工業高校の壁が厚く、2016年と2017年に三重県高等学校選手権大会の決勝で同校と対戦するも、いずれも敗れ、春高バレー出場は果たせませんでした。3年生の時にインターハイに出場し、ベスト16という結果を残しています。

クラブチーム「ヴィアティン三重」U-19でもプレー

バレーボール部に所属し、さらにはクラブチームでもプレーしていた西田有志選手。高校2年生の9月にはヴィアティン三重U-19の選手として、全国ヤングクラブ優勝大会を制覇。2017年4月にはU-19日本代表としてアジアユース選手権で優勝もしています。

高校3年生でジェイテクトSTINGSに加入

Vプレミアリーグ男子のジェイテクトSTINGSに高卒内定選手として加入。2018年1月6日の堺ブレイザーズ戦で高校生選手としてVプレミアリーグの公式戦に初出場を果たしました。そのデビュー戦ではスパイク決定率70%を記録し、翌日のJTサンダース戦では早くもスタメンとして出場。チーム最多の26得点を記録するなど輝かしいデビューを飾りました。

ジェイテクトSTINGS時代

高校卒業後、正式にジェイテクトSTINGSに入団し、同時期に日本代表にも選出されました。ジェイテクト入団2年目からはプロ契約選手としてプレーしています。2019年10月に開催されたバレーボールワールドカップではベストサーバー賞を獲得。2020年2月にはジェイテクトのV1初優勝に貢献し、西田選手自身もMVP、得点王、サーブ賞、ベスト6を受賞しています。同年12月の天皇杯では、エースとしてチームを初優勝に導きました。

東京オリンピックに出場

2021年6月に日本代表入りが発表され、自身初のオリンピック出場を果たします。日本代表は1次リーグ最終戦でイランに3-2で勝利。この時西田選手は30得点の活躍を見せ、日本代表の29年ぶりとなる準々決勝進出に大きく貢献しました。その準々決勝ではブラジル代表に敗れ、最終順位は7位で終わっています。

ヴィボ・ヴァレンツィア時代

五輪終了後の8月9日、ジェイテクトSTINGSを通じて記者会見を開き、イタリアセリエA、ヴィボ・ヴァレンツィアへ移籍することを発表。故障による欠場があったものの、多くの試合に出場した西田有志選手。しかし、チームはセリエA2に降格という結果となりました。

ジェイテクトSTINGS時代

2022年6月1日にジェイテクトSTINGSへ復帰。この時に、同じく日本代表の関田誠大選手とスロベニア代表のティネ・ウルナウト選手も入団しました。このシーズン、チームは天皇杯で2年ぶり2度目の優勝を果たしています。

西田有志 彼女・古賀紗理那選手と結婚

2022年12月31日、NECレッドロケッツ所属でバレーボール女子日本代表主将でもある古賀紗理那選手との結婚を発表。現役日本代表のビッグカップル誕生となりました。結婚前、二人の交際は公表されていませんでしたが、西田有志 彼女・古賀選手との熱愛はネット上で噂になっていました。

パナソニックパンサーズ時代

2023年6月30日、契約期間満了によりジェイテクトを退団し、パナソニックパンサーズに移籍しました。現在、西田有志選手は2023年9月30日から始まるW杯に出場するため、男子日本代表チームに合流しています。

まとめ

今回は、パナソニックパンサーズ所属でバレーボール男子日本代表のオポジット・西田有志選手のプロフィールと経歴をまとめてみました。西田有志 彼女・古賀紗理那選手は火の鳥NIPPONのキャプテンとして女子日本代表チームを牽引しました。残念ながらパリ五輪の出場権はおあずけとなってしまいましたが、激闘を見せてくれましたね。古賀選手の悔しい思いも背負い、男子日本代表の主力メンバーとして西田選手にはぜひ活躍してほしいです。西田選手のW杯での健闘を祈っています!

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