【サッカー】堂安律のプロフィールや経歴は?出身高校や彼女も調査      

【サッカー】堂安律のプロフィールや経歴は?出身高校や彼女も調査      

サッカー男子日本代表でドイツ1部ブンデスリーガのSCフライブルク所属の堂安律選手。2018年に日本代表デビューを果たしてからは2022 FIFAワールドカップやAFCアジアカップ2023にも出場。日本代表のエースナンバー「背番号10」を背負う大注目の選手です。そこで今回は、堂安律選手のプロフィールや経歴、噂の堂安律 彼女についても調べてみました!

目次

堂安律(どうあん りつ)選手のプロフィール

  • 生年月日:1998年6月16日
  • 年齢:25歳
  • 出身地:兵庫県尼崎市
  • 身長:173cm
  • 血液型:A型
  • 出身校:向陽台高等学校
  • ポジション:MF
  • 所属クラブ:SCフライブルク(ドイツ)

堂安律選手の経歴

堂安律選手は8歳上の長兄・麿さん、3歳上の次兄・憂さん、そして堂安律選手本人となる3兄弟の末っ子として誕生。堂安律選手がサッカーボールを蹴り出したのは3歳の頃で、当時兄2人が地元の浦風FCに通っていたため、一緒に練習について行くようになったのがきっかけだといいます。

尼崎市立浦風小学校時代

堂安律選手は3歳から9歳まで浦風FCでサッカーの楽しさを覚え、10歳の時に兵庫県西宮市の強豪クラブ「西宮SS」に加入しました。同スクールは選手の個人技を重視する指導方針だったこともあり、練習のほとんどが個人技の向上にあてられたそうです。「左足で触るタッチは小学校時代に身に付けた技術がもとになっている」と堂安選手も語っています。西宮SS時代には堂安選手の原点とも言える早野陽コーチとの出会いもあり、今の堂安選手があるのは早野コーチからサッカーから生活まで全てを教えてもらったからだと言います。

尼崎市立小田南中学校時代

中学進学前には、ガンバ大阪、セレッソ大阪、ヴィッセル神戸、名古屋グランパスエイトの4つのジュニアユースからオファーがあった堂安律選手でしたがガンバ大阪ジュニアユースに入団。ジュニアユース時代には史上初となるU−15カテゴリーの全国大会3冠を達成しました。

追手門学院高等学校/向陽台高等学校時代

高校は大阪府茨木市にある追手門学院高等学校に進学しましたが、途中でサッカーに専念するために通信制の向陽台高等学校に転校しています。ガンバ大阪ユースでは攻撃的MFとして早くから頭角を現し、高校2年の2015年にトップチームに2種登録。開幕からトップチームに帯同し、4月7日のACLブリーラム・ユナイテッドFC戦で初のベンチ入り。そして5月27日のACL決勝トーナメント1回戦のFCソウル戦で、クラブ史上2番目となる16歳344日の若さで公式戦デビューを果たしました。そして2016年シーズンから飛び級でのトップチーム昇格が決まります。

ガンバ大阪時代

2016年10月のAFC U−19選手権では主力として活躍し、U-20W杯出場権獲得に貢献。同大会で日本を優勝に導いた他、大会優秀選手に選出されました。またU-20W杯では4試合に出場し3得点を挙げ、2016年12月にはアジア年間最優秀ユース選手賞に輝いています。

FCフローニンゲン時代

2017年6月、19歳になった堂安律選手はオランダ1部リーグのFCフローニンゲンに期限付きで移籍します。移籍後はチームの中心メンバーとして2シーズンを戦い、その間に中島翔也選手、南野拓実選手らとともに日本代表にも定着しました。

PSVアイントホーフェン時代

2019年8月27日にオランダのPSVアイントホーフェンにクラブ史上初の日本人選手として移籍した堂安律選手。9月19日にはUEFAヨーロッパリーグのグループリーグ第1節スポルティングCP戦に出場し、欧州リーグデビューを飾りました。

アルミニア・ビーレフェルト時代

堂安律選手はシーズン終了までのレンタル移籍で、2020年9月5日にドイツ1部ブンデスリーガのアルミニア・ビーレフェルトに加入。10月18日にはバイエルン・ミュンヘン戦でブンデスリーガ初ゴールを決めました。年間ベストルーキー賞の候補に選出され、月間ベストルーキー賞では他の注目選手より受賞回数を上回り、月間賞候補のノミネート回数では単独最多を記録しました。チームの残留に大きく貢献し、個人としてもチームトップタイの5得点を挙げたことでチームは堂安選手の完全移籍を目指しましたが、COVID-19による財政難で実現せず、シーズン終了後同チームを退団しました。

PSV復帰時代

ビーレフェルト退団後は古巣のPSVアイントホーフェンに復帰した堂安律選手。2021年11月26日、UEFAヨーロッパリーグのグループリーグ第5節SKシュトゥルム・グラーツ戦に出場した堂安選手は、空中でボールを操りアシストしたことから国内外で大きな話題となりました。KNVBカップ決勝のアヤックス戦には途中出場し好プレーを連発。日本国籍の選手では初となる優勝を果たしました。

SCフライブルク時代

堂安律選手は2022年7月5日、ブンデスリーガのSCフライブルクへの完全移籍を発表。2023年2月23日にはEL(欧州リーグ)のプレーオフ第2戦が行われ、フライブルクはRCランス(フランス)に3-2で勝利し決勝トーナメント進出を決めています。同試合で堂安選手は2得点に絡み、何度もチャンスを演出。2点差からの逆転勝利にドイツ国内が沸きました。

堂安律選手の日本代表歴

U-15日本代表

  • 2013年:AFC U-16選手権2014・予選

U-16日本代表

  • 2013年:Caspian Cup 2013
  • 2014年:AFC U-16選手権2014

U-17日本代表

  • 2015年:第22回バツラフ・イェジェク国際ユーストーナメント

U-18日本代表

  • 2015年:SBSカップ 国際ユースサッカー(2015年)
  • 2015年:長安フォードカップ
  • 2015年:AFC U-19選手権2016・予選

U-19日本代表

  • 2016年:バーレーンU-19カップ
  • 2016年:水原JSカップ U-19国際ユースサッカー大会
  • 2016年:Panda Cup
  • 2016年:NTC招待大会
  • 2016年:AFC U-19選手権2016

U-20日本代表

  • 2017年:ドイツ遠征
  • 2017年:FIFA U-20ワールドカップ

U-22日本代表

  • 2019年:キリンチャレンジカップ

U-24日本代表

  • 2021年:東京オリンピック

日本代表

  • 2018年:キリンチャレンジカップ
  • 2019年:AFCアジアカップ2019
  • 2019年:2022 FIFAワールドカップ・アジア2次予選
  • 2021年:2022 FIFAワールドカップ・アジア3次予選
  • 2022年:キリンカップサッカー2022
  • 2022年:2022 FIFAワールドカップ
  • 2023年:2026 FIFAワールドカップ・アジア2次予選
  • 2024年:AFCアジアカップ2023

サッカー日本代表MFの堂安律 彼女はだれ?

2023年2月3日に行われたAFC アジアカップ カタール 2023の準々決勝、日本対イラン戦。歴代最強との呼び声が高かった日本代表でしたが1-2でイランに敗れ、準々決勝敗退という結果に終わりました。この時に数秒ではありましたが日本人女性が映り込み、SNSでは「この美人は誰?」と話題になっています。その美女ですが、美容系インフルエンサーの明松美玖(あけまつ みく)さんで、堂安律 彼女と噂になっています。

2022 FIFAワールドカップ カタールにも応援に駆け付けていた

堂安律選手は2022年のW杯カタール大会にも出場していますが、そのW杯の現地映像では、堂安律選手の両親と明松美玖さんが一緒に観戦している姿が映ったこともあり、堂安律選手と明松さんの交際は既に両家公認の仲と言われています。

堂安律 彼女・明松美玖さんはどんな女性?

明松美玖さんは1995年9月12日生まれ、兵庫県神戸市出身の28歳。甲南大学法学部法学科2年生の時には、ミス甲南コンテスト2015にも選出された経験もあり、この時のインタビューでは「好きな男性有名人は岩田剛典」と答えています。現在明松さんのインスタグラムのフォロワーは15万人を超えており、美容系インフルエンサーとして情報を発信している他、美容会社広報もしているそうで明松さんが開発に携わったという美容液も販売されているそうです。堂安選手と明松さんは10代の頃からの知り合いで、W杯、アジアカップに応援に駆け付けているということもあり、結婚間近なのでは?とも言われています。

まとめ

今回は、サッカー日本代表の「背番号10」堂安律選手のプロフィールや経歴、噂の堂安律 彼女についてまとめてみました。堂安律 彼女と言われている明松美玖さんと堂安選手は同じ兵庫県出身ということなので、「同級生のお姉ちゃん」や「兄の友達」など、そういった繋がりがあったのかもしれませんね。次のW杯は2026年ですが、その前に結婚となるのか、W杯を終えてから結婚となるのか、今後の2人にも注目です。堂安律選手のこれからの活躍を楽しみにしています!

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