【バレーボール男子】石川祐希の幼少期からのプロフィールや経歴     

【バレーボール男子】石川祐希の幼少期からのプロフィールや経歴   

2023年9月30日~10月8日の日程で開催されるFIVBワールドカップバレーボール男子大会。2024年パリ五輪の予選を兼ねた本大会、男子日本代表の初戦は9月30日、対戦相手はフィンランドとなります。そのバレーボール男子日本代表の主将は、現在イタリアのセリエAでプレーする石川祐希選手。妹の石川真佑選手もバレーボール女子日本代表のメンバーで、兄妹でパリ五輪出場を目指します。そこで今回は、プロバレーボール選手でもある石川祐希選手のプロフィールや経歴をまとめました!

目次

石川祐希(いしかわ ゆうき)選手のプロフィール

  • 生年月日:1995年12月11日
  • 年齢:27歳
  • 出身地:愛知県岡崎市
  • 身長:192cm
  • 血液型:AB型
  • 出身校:中央大学法学部政治学科
  • 所属:パワーバレー・ミラノ
  • ポジション:アウトサイドヒッター(OH)

石川祐希選手の経歴

岡崎市立矢作南小学校時代

2002年に小学校に入学した石川祐希選手ですが、ちょうどその年はサッカーの日韓W杯が開催され、日本中がW杯に熱くなっていました。もちろん石川選手もその一人で、生まれて初めて興味を持ったスポーツはサッカーだったそうです。しかし地元にサッカークラブが無かったこともあり、小学3年生から野球を始めました。

小学4年生でバレーボールに出会う

4年生の時に1歳上の姉・尚美さんが所属するバレーボール部の練習を見学した石川祐希選手。「1回入ってみろよ」と言われて練習に入れてもらったら、石川選手は入った瞬間にスパイクが打てたそうです。当時その様子を見ていたチームメイトは「凄い!」と思ったそうで、昔から見て学ぶことに長けていたと語っています。これをきっかけに石川選手はバレーボールを始めます。

矢作南小学校のバレーボール部は全国屈指の強豪チームで、石川選手自身も6年生の時に全国大会ベスト8を経験しています。

岡崎市立矢作中学校時代

石川祐希選手が進学した矢作中学校もバレーボールの強豪校。しかし、中学入学当時の身長は160cmほどで、長身の対戦相手には思うようにスパイクが決められない日々が続いたといいます。それでも石川選手は腐ることなく努力を続け、スパイクの打ち方やコースの1本1本を徹底的に叩き込まれ、多くのことを吸収していきました。そして2年生の時には170cm、3年生の頃には身長も180cmを超え、チームのエースにまで成長を遂げます。

3年生の時に出場した第40回全日本中学校バレーボール選手権大会では3位、全国都道府県対抗中学バレーボール大会では準優勝し、ともに優秀選手に選ばれています。

星城高等学校時代

高校は県内のバレーボールの名門・星城高校に進学。同校では基本的に夏頃まで新入生を起用しない方針でしたが、石川祐希選手には入学直後からレギュラー争いの機会が与えられました。

また、同校の竹内裕幸監督は練習メニューを一方的に押し付けるのではなく、生徒が必要だと思う練習も積極的に取り入れてくれる監督だったそうです。自主性を重んじる監督、裏を返せば選手の自己責任という環境。中でも練習前に行う30分間走はその象徴で、距離や速さは生徒それぞれが考えて走るため、サボる生徒もいたそうです。誰かに言われてやるのではなく、自らの意志で努力することの大切さを学んだ高校時代は、人間的にも成長できた3年間だったと石川選手は語ります。

前人未到の高校6冠

2年生、3年生の時にはほぼ同じメンバーでインターハイ、国体、全日本バレーボール高等学校選手権大会の高校3冠を史上初となる2年連続で達成。高校時代に石川祐希選手は6冠を手にしました。

中央大学時代

大学はバレーボールの強豪校である中央大学に進学。数あるバレーボール強豪校の中から同校を選んだ理由は、掲げるスタイルやトレーニング施設を含んだ環境と、1学年、2学年上に高校時代に活躍した同じポジションの選手がいる大学は出場機会を得られない可能性もあると考え、その中で一番合っていると感じた同校を選びました。入学後は1年生からレギュラーとして春季リーグに出場し、春季リーグ、秋季リーグ、全日本インカレで3冠を達成しています。

また、全日本代表候補にも選ばれ、1年生の9月にはアジア大会に出場し、シニア代表デビューも果たしました。

イタリア・セリエAの強豪チームからのオファー

イタリア・セリエAのクラブチーム、パッラヴォーロ・モデナから短期留学でチームに加入しないかというオファーが舞い込み、海外のクラブへの興味や好奇心から「行きます」と即答。大学バレーのシーズン終了後、12月から3カ月間の短期留学でモデナに加入しました。モデナでは試合に出る機会はありませんでしたが、濃い時間が送れたそうです。そして「いつか自分も世界の代表選手が集まる環境でプレーしたい」と考えるようになったといいます。

イタリア・セリエAのラティーナからのオファー

2年生の時は大学生活や故障などが重なりイタリアに行けなかった石川祐希選手。3年生になり再びチャンスが訪れます。2015年のW杯で活躍した石川選手にセリエAのラティーナから契約の申し入れがありました。全日本インカレで3連覇を達成し渡欧した石川選手ですが、大学、日本代表、イタリアの三足の草鞋を履いていた石川選手は、ハードなスケジュールが原因で怪我に悩まされていました。イタリアでは怪我の治療を優先せざるを得ない状況で、満足のいくものではなかったそうです。

そして4年生の時もラティーナは石川選手と契約し、大学の単位は全て取得していたこともあり、秋季リーグには参加せずに10月に渡欧しました。

チームのために戦った最後の全日本インカレ

4年生の時は日本代表の活動もあり、大学の試合には殆ど出場できずにいた石川祐希選手。大学の試合に出場できる時は「不在で迷惑をかけた分、貢献したい」という気持ちで戦ってきたといいます。そして大学生活最後の試合となる全日本インカレ。準決勝で筑波大学に敗れた中央大学は、4連覇達成とはなりませんでした。最後の全日本インカレは「自分のため」ではなく、「仲間のため」に戦った石川選手。3位決定戦で東海大学に勝利した後、涙を流しチームへの感謝を述べています。

大学卒業後

大学入学前は、卒業したらVリーグでできるだけ長くバレーボールを続けたいと考えていた石川祐希選手ですが、大学卒業後はイタリア・セリエAのエマ・ヴィラズ・シエナと契約し、プロのバレーボール選手となりました。

そして2019年に同じくセリエAのパッラヴォーロ・パドヴァへ移籍し、現在はセリエAのパワーバレー・ミラノに所属しています。

また、2021年4月よりバレーボール男子日本代表の主将も務めており、2023年9月30日より始まるFIVB パリ五輪予選 ワールドカップバレー2023に出場予定です。2020年東京オリンピックに続き自身2度目の五輪出場をかけて戦います。

まとめ

今回は、バレーボール男子日本代表キャプテン・石川祐希選手のプロフィールや経歴についてまとめてみました。Vリーグでの経験はなく、大学卒業後にイタリアへ渡りプロバレーボール選手になるという今までに無かった形で競技を続けている石川祐希選手。石川祐希選手の活躍をきっかけに、海外を目指す選手が増え、バレーボール男子日本代表のレベル向上に繋がれば良いですよね。ワールドカップでの石川祐希選手の健闘を祈ります!

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