【ゴルフ男子】松山英樹の幼少期からの生い立ちや経歴!家族構成や成績も紹介

【ゴルフ男子】松山英樹の幼少期からの生い立ちや経歴!家族構成や成績も紹介

2024年パリオリンピック男子ゴルフ代表で、見事日本男子初の銅メダルを獲得した松山英樹選手。

2021年東京オリンピックではメダルを期待されながらも惜しくも銅メダルまであと一歩のところで逃してしまった悔しい過去があっただけに、この銅メダル獲得は特別なことだったと思います。

そこで今回は、松山英樹選手の幼少期からの生い立ちや経歴、家族情報についてまとめてみました。

目次

松山英樹の生い立ちや経歴

それでは早速ですが、松山英樹選手の生い立ちや経歴についてまとめてみました。幼少期から高校、現在までどのような人生を送ってきたのか紹介していきます。

松山英樹の幼少期・小学生時代

1992年、愛媛県松山市で生まれた松山英樹選手。ゴルフを始めたのは4歳の頃。

日本アマ出場経験もある父・幹男さんの影響でゴルフを始めた松山英樹選手は、家の庭にネットを張って、小学校から帰ってくると毎日のようにスイング練習をするなど、この頃からゴルフの虜になっていたそうです。

松山英樹の中学時代

松山英樹を中学時代から取材した大西建志氏 高校から見据えていた世界の舞台 /ゴルフ/デイリースポーツ online

出典:デイリースポーツ(https://www.daily.co.jp/golf/2021/04/13/0014235267.shtml?ph=1)

中学2年生になると、よりゴルフの練習をできるようにと、ゴルフ部のある明徳義塾中学校に転校します。

ちなみにその明徳義塾中学校転校前の学校は明らかにされていませんでしたが、ゴルフの為に転校という大胆な行動に、この頃から「ゴルフで飯を食っていく」という明確な目標があったのかもしれませんね。

また、松山英樹選手は中学時代、週末になると同じゴルフ部で1学年下の山本健斗さんの実家へ頻繁に通っていたそうで、その時のエピソードとして、

「両親は僕にゴルフをさせてくれるために一生懸命に働いて、協力してくれている。だから、絶対にプロになって恩返ししたい」

と、語っていたそうで、この時から親に恩返しをしたいという気持ちを持って練習に励んでいたみたいです。

松山英樹の高校時代

JGA 日本ゴルフ協会 松山英樹 高校時代

出典:JGA 日本ゴルフ協会(https://www.jga.or.jp/jga/jsp/2009/04-0/story.html)

高校はそのまま明徳義塾高校へと進学します。

明徳義塾高校時代の2008年には全国高校ゴルフ選手権では優勝、日本ゴルフ協会のナショナルチームに選ばれるなど活躍します。

ただ、当時は同学年に石川遼選手もいたこともあり、石川遼選手の陰に隠れていました。

この時松山選手は、石川遼選手の活躍を、

「すごいと思うと同時に悔しかった」

と、語っています。

連日メディアに取り上げられるほどの活躍を見せていた石川遼選手に少なくともライバル心はあったのかもしれません。

その後、高校を卒業したらプロになろうと決意していた松山選手にある転機が訪れます。

松山英樹の大学時代

高校3年の時に日本アマチュア選手権で予選ラウンド敗退してしまった松山選手。この敗退で傷心していたころ、実家にとある人物が松山選手を訪ねます。

それが恩師でもある東北福祉大の阿部靖彦監督です。

阿部監督は当時の松山選手に、

「今のままでは並のプロでしかない。プロになってすぐに活躍をしたいと思うなら、もっと練習を積み重ねなさい」

と、投げかけたそうで、その言葉に感銘を受けた松山選手は東北福祉大学への進学を決意します。

ちなみに東北福祉大学はゴルフ界では最も有名な大学で知られていて、池田勇太選手、宮里藍選手の実兄でもある宮里優作選手など数多くのプロゴルファーを輩出しています。

東北福祉大学時代に松山選手は、アジアアマチュア選手権で日本人初の優勝、2011年の大学2年時には三井住友VISA太平洋マスターズで倉本昌弘、石川遼に次ぐ3人目のアマチュアでの日本ツアー優勝を果たすなど頭角を現しはじめます。

そして2013年プロ転向を表明し、プロとしてのキャリアがスタートしていきます。

松山英樹の活躍

松山英樹選手は、2021年のゴルフ四大メジャー大会の一つ、マスターズ・トーナメント優勝を飾ります。

もちろんマスターズ制覇は日本人では初めてのことで、アジア人でも史上初めての快挙です。

さらに、海外メジャー大会としては男女通じてこれまでに、樋口久子、井戸木鴻樹、渋野日向子の各選手が優勝していて、松山選手の優勝で4人目の快挙となりました。

1908年から2012年まで長らくオリンピック競技から除外されていたゴルフですが、2016年リオデジャネイロで復活し、東京が復活後2回目、パリが3回目となるためまだ歴史も浅いんです。

そんな中、見事に2024年パリオリンピックで、日本人男子初の銅メダルを獲得しました!またまた日本のゴルフ界に素晴らしい歴史を刻んだ松山選手。

今後のさらなる活躍にも注目しましょう!

松山英樹の家族構成や実家の情報

ここで、松山英樹選手の気になる家族構成や実家の情報についても調べてみました。

松山英樹の両親・兄弟(姉妹)・家族構成

松山英樹選手の家族構成は姉1人、妹1人、父・母の5人家族です。

・父:松山幹男
・母:-
・長女:松山美湖
・長男:松山英樹
・次女:-

松山選手の父・幹男さんは、松山選手がゴルフを始めたきっかけでもあります。

また、現在は打ちっ放し練習場やゴルフレッスンもある「ヒデキゴルフガーデン」を経営されています。

また、姉の松山美湖さんもゴルフをされていて、2013年には横峯さくらプロのキャディーを務めたこともあるそうです。

母や妹のことに関しては公になっていませんが、もしかすると何かしらゴルフ関係に携わっているかもしれません。

松山英樹のプロフィールと戦績

名前松山 英樹(まつやま・ひでき)
生年月日1992年2月25日
身長181cm
体重90kg
出身地愛媛県松山市
学歴明徳義塾中学校-明徳義塾高校-東北福祉大学
所属レクサス
ゴルフ歴4歳~
趣味野球
主な獲得タイトルパリオリンピック銅メダル(2024)

マスターズ・トーナメント(2021)

フェニックス・オープン(2016~2017)

日本オープンゴルフ選手権競技(2016)

-優勝歴-

日本ツアー:8勝(メジャー1・ツアー7)

PGAツアー:6勝(ツアー3・世界選手権2・メジャー1)

松山英樹のプレースタイルや世間の声

ここで少し世間の声を集めてみました!

日本男子初の海外メジャー優勝、アジア人初のマスターズ制覇、オリンピックでのメダル獲得など、数々の偉業を成し遂げ、さらにこの先も優勝を積み上げていくのではと期待してしまいます。

まとめ

今回は、松山英樹の幼少期からの生い立ちや経歴、家族構成やこれまでの成績などの情報についてまとめました。松山選手は、4歳の頃からゴルフを始め、石川遼選手にライバル心を抱いていたこともあったようです。

マスターズ制覇やオリンピックでのメダル獲得など、これまでにも男子ゴルフ界を盛り上げてきた松山英樹選手の今後のさらなる活躍にも期待したいですね。

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