2023年3月8日から、いよいよ4年に1度のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)が開催されます。今大会の日本代表 メンバーとして、1月6日に先行発表された選手の一人が横浜DeNAベイスターズの今永昇太投手です。
2022年シーズンはけがの影響で出遅れるも、チームのエースとして11勝を挙げチームの3年ぶりとなるクライマックスシリーズ進出に大きく貢献した今永昇太投手。
力強いストレートとキレのある変化球を武器に、1年目からチームの先発ローテーションの軸として好成績を残し続けてきた今永投手が、球界を代表する左腕として3月からのWBCでの活躍にも大きな期待が寄せられています。
今回は、そんな今永昇太投手の幼少期からの生い立ちや経歴について調べてみました。
今永昇太(いまながしょうた)投手の生い立ち
- 生年月日:1993年9月1日
- 年齢:29歳
- 出身地:福岡県
- 身長:178cm
- 体重:83kg
- 血液型:A型
- 所属:横浜DeNAベイスターズ
- ポジション:ピッチャー
- 投打:左投左打
- 背番号:21
- 推定年俸:1億4,000万円
小学校の時に兄の影響でソフトボールを始めたのが、今永投手の野球人生の始まりでした。そこではピッチャーだけでなく、キャッチャーやショートなど様々なポジションを経験していました。永犬丸中学校に進学後は、軟式野球部に所属。当時はまだ身体も小さかったため、公立高校の福岡県立北筑高等学校への進学を決めました。
今永昇太(いまながしょうた)投手の経歴
福岡県立北筑高等学校時代
北筑高校では硬式野球部に所属して、練習に励んでいました。1年生の秋から対外試合に登板するようになった今永投手でしたが、残念ながら春夏ともに甲子園出場は果たせませんでした。3年夏の福岡県予選では、最速144km/hのストレートを武器に4回戦まで進出しています。
それでも、3年生時の春季福岡県大会で1試合14奪三振を記録し、プロの球団からの注目を集めるような選手へ成長し、高校卒業後は駒澤大学へ進学しました。
駒澤大学時代
駒澤大学入学後は、1年生の春から東都大学リーグの試合に登板していました。その時には、のちに同じDeNAでもチームメイトとなる戸柱恭孝選手とバッテリーを組むこともありました。
その後2年生春のリーグ戦からチームのエースを任されるようになった、今永投手。3年生春のリーグ戦では、3試合連続完封勝利を記録するなど大活躍しました。続く、秋のリーグ戦でも活躍を続け、最優秀投手・MVP・ベストナインの3冠を達成し、チームの優勝に貢献しました。
4年生時には、けがの影響で思うように投げられず調子を落とすも、その年のドラフト会議で横浜DeNAベイスターズから1巡目で単独指名を受けました。背番号は21で契約金1億円、推定年俸1,500万円で入団しました。
横浜DeNAベイスターズ時代
2016年シーズン
今永投手の公式戦デビューは、2016年3月29日の読売ジャイアンツ戦での先発でした。5月にプロ初勝利を挙げてからは、5連勝を記録。6月に一時コンディションを整えるために二軍で調整していましたが、それ以外はルーキーながら一軍に定着して22試合に登板し、8勝9敗防御率2.93という成績を残しました。
加えて、その年のクライマックスシリーズファーストステージ第二戦に先発し、チームをファーストステージ突破に導きました。
2017年シーズン
翌年にはプロ初完封勝利を記録し、シーズン2桁勝利も達成しました。この年もチームはクライマックスシリーズに進出し、今永投手は日本シリーズにも大きく貢献しました。
日本シリーズでは2試合に先発し、勝敗はつかなかったものの2試合とも10個以上の三振を奪う活躍を見せました。しかし、チームは惜しくも日本一を逃しました。
2019年シーズン
2018年はけがの影響もあり思うような成績が残せませんでしたが、2019年は開幕投手を任され、チームに勝利をもたらしました。
この年は5月に月間MVPを初受賞、オールスターゲームにも初選出されるなど躍進しました。結果として、今永投手は13勝を挙げ、チームはクライマックスシリーズ進出を果たしました。11月にはプレミア12の日本代表にも選ばれました。
2022年シーズン
2020年以降は、けがに悩まされながらもDeNAのエースとして活躍。2022年6月にはノーヒットノーランを達成しました。2022年は11勝4敗の成績を残し、チームのクライマックスシリーズ進出に貢献しました。
最後に
ここまで見てきたように、高校・大学と着実に成長を遂げ、球界を代表する左腕となった今永昇太投手。キレのあるストレートを武器に、NPBで結果を残し続けている今永投手がWBCでどんな活躍を見せてくれるのか楽しみですね!