【WBC 2023】侍ジャパン・中村悠平の幼少期からのプロフィールや経歴

【WBC 2023】侍ジャパン・中村悠平の幼少期からのプロフィールや経歴

2023年3月8日に開幕する野球の世界一決定戦であるワールド・ベースボール・クラシック(WBC)。

史上最多となる3度目の優勝を狙う侍ジャパンのメンバー30名が発表され、東京ヤクルトスワローズのリーグ2連覇を支えたキャッチャー・中村悠平選手が2度目の日本代表入りを果たしました。

そこで今回は、中村悠平選手のプロフィールや経歴についてまとめてみました。

目次

中村悠平(なかむら ゆうへい)選手のプロフィール

  • 生年月日:1990年6月17日
  • 年齢:32歳
  • 出身地:福井県大野市
  • 身長:176cm
  • 体重:83kg
  • 血液型:A型
  • 最終学歴:福井県立福井商業高等学校卒業
  • 所属:東京ヤクルトスワローズ
  • ポジション:捕手(キャッチャー)

中村悠平選手の経歴

大野市立下庄小学校時代

中村悠平選手の野球人生スタートのきっかけとなったのは父親とのキャッチボール。小学校低学年の頃から父親の草野球に一緒について行き、少しずつ野球に興味を持ち始めました。しかし、少年野球チームに入ることには躊躇していた中村悠平選手。友人から誘ってもらい、小学校5年生の時に少年野球チームに入部しました。

始めた当初の守備位置はレフトで、その後は内野も経験し、小学校5年生の夏からキャッチャーになりました。

大野市立陽明中学校時代

陽明中の野球部で3年間練習に励んだ中村悠平選手は、中学3年生時には福井県リトルシニア選抜である「福井クラブ」で、イチロー選手なども出場経験のある全日本少年軟式野球大会にも出場しています。

福井県立福井商業高等学校時代

福井県勢では過去最多の甲子園出場回数を誇る強豪校、福井商業へ進学した中村悠平選手は、強肩強打を武器に1年秋から正捕手を担います。そして2年連続での夏の甲子園出場に大きく貢献しました。

2007年夏の甲子園では初戦敗退、翌年2008年大会では2回戦で仙台育英に惜しくも敗れ、ベスト16入りは果たせませんでした。

2008年ドラフト会議で東京ヤクルトスワローズから3位指名を受け入団します。

東京ヤクルトスワローズ時代

2009年(プロ入り1年目)

春季キャンプは二軍スタートとなり、開幕も二軍で迎えました。9月29日、怪我により登録抹消された相川亮二選手(正捕手)と入れ替わりで一軍に初昇格し、10月2日の広島カープ戦で代走としてプロ初出場を果たします。続く10月6日の横浜ベイスターズ戦では、代打でプロ初打席に立つと、その裏から一軍公式戦では初めてキャッチャーとして守備に就き、後続を無失点に抑える活躍を見せました。そして10月12日の読売ジャイアンツ戦では、初の盗塁阻止も記録しました。

2010年(プロ入り2年目)

一軍の春季キャンプに参加し、視察に訪れた古田敦也さんや首脳陣から高評価を得る。この年には国際公式戦の一つである、第17回IBAFインターコンチネンタルカップの日本代表メンバーに選出されました。

2011年(プロ入り3年目)

第三捕手として一軍にいることが多くなり、このシーズンは13試合に出場。出場の機会はありませんでしたが、クライマックスシリーズにも初めてベンチ入りを果たしました。

2012年(プロ入り4年目)

6月29日の阪神タイガース戦でプロ初ホームランを記録。怪我により登録抹消された相川亮二選手(正捕手)の出場数を上回り、侍ジャパンマッチ2012「日本代表 VS キューバ代表」の日本代表入りを果たすなど頭角を現しました。

2013年(プロ入り5年目)

正捕手・相川亮二選手選手のWBC出場を受け、中村悠平選手はプロ入り初の開幕スタメンを果たします。8月13日の中日ドラゴンズ戦ではプロ初サヨナラ本塁打を放ちました。しかし、このシーズンは前年に比べて成績が振るわず、正捕手の座は掴めませんでした。

2014年(プロ入り6年目)

開幕から好調を維持し、監督推薦でのオールスターゲーム初出場を果たします。このシーズンは自己最多となる全99試合に出場し、打率.298と3割に迫る数字をマークしました。

2015年(プロ入り7年目)

正捕手の座を掴み、2年連続でオールスターゲームに出場。このシーズンは全136試合に出場し、チームの14年ぶりのリーグ優勝にも貢献しました。また、ゴールデングラブ賞やベストナイン、最優秀バッテリー賞も初受賞となりました。

オフには、第1回WBSCプレミア12の日本代表最終登録選手28名に選出されたことが発表されました。

2016年(プロ入り8年目)

シーズン開幕前に侍ジャパン強化試合の日本代表に選出されました。シーズンを通して全106試合に出場し、打率.187に終わりました。オフには球団から背番号28への変更を問われましたが、憧れの古田敦也さんの選手時代の背番号「27」を目指したいと、背番号変更は固辞しました。

2017年(プロ入り9年目)

途中、怪我による離脱もあったものの、全127試合に出場。打率.243、4本塁打、34打点をマークし、翌年から選手会長とキャプテンを務めることが決まりました。

2018年(プロ入り10年目)

このシーズンは全123試合に出場し、打率.211、5本塁打、26打点を記録。正捕手として出場していたものの、シーズン終盤では井野卓選手と試合途中で交代する機会も増えました。

2019年(プロ入り11年目)

選手会長2年目となったこのシーズンは、全126試合に出場し、打率.269をマーク。一方、右肘の違和感から9月22日登録を抹消され、シーズンオフに右肘のクリーニング手術を行いました。

2020年(プロ入り12年目)

開幕先発出場が決まっていたものの、試合前練習で上半身を痛めライバルの嶋基宏選手にスタメンを譲ることに。その後復帰を果たすも、接触による負傷で交代するなどし、このシーズンは全29試合の出場に終わりました。

2021年(プロ入り13年目)

シーズン前半は戦線離脱した青木宣親選手の代わりに2番打者を担い、攻守に渡りチームに貢献。監督推薦によるマイナビオールスターゲーム2021への出場も決めます。青木宣親選手の復調後は、6番打者として出塁率リーグ9位の.360を記録するなどの活躍を見せます。オリックスバファローズとの日本シリーズでは、シリーズを通じて打率.318をマーク、守備面でも投手陣を支え、日本シリーズMVPに選出されました。また、ベストナインとゴールデン・グラブ賞も受賞しています。

東京ヤクルトスワローズとの契約が満了し、FA権を行使できるタイミングとなりましたが、ヤクルトに残留することを発表。背番号は、名捕手である大矢明彦選手、古田敦也選手が付けていた準永久欠番「27」へと変更となりました。

2022年(プロ入り14年目)

腰痛のため、5月3日の阪神戦でスタメンに復帰。6月24日の巨人戦では2打席連続ホームランを放つなど、中村悠平選手の復帰とともにチームは快進撃を続け、リーグ連覇を飾りました。

また、2年連続でゴールデン・グラブ賞、ベストナインに選出されています。

そして今回、2015年のWBSCプレミア12以来、2度目となる日本代表メンバーに選出され、2023年3月8日より開幕する、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)に挑みます!

まとめ

今回は、野球日本代表・侍ジャパンで背番号「27」、中村悠平選手のプロフィールや経歴についてまとめてみました。ベテラン捕手として活躍する中村悠平選手ですが、プロ入り後の数年間は二軍で下積みを経験。プロ7年目あたりから徐々に頭角を現してきた遅咲きの選手であることがわかりました。今回の日本代表メンバーの中では最年長となる中村悠平選手、WBCでの健闘を祈ります!

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