【女子バレー】宮部藍梨の幼少期からのプロフィールや経歴         

【女子バレー】宮部藍梨の幼少期からのプロフィールや経歴

2023年9月16日~24日に開催されたワールドカップバレー2023 女子大会。今大会はパリ五輪予選も兼ねており、注目度の高い大会となりました。バレーボール女子日本代表は5勝2敗で惜しくもパリ五輪への切符は持ち越しとなりましたが、連日の激闘に日本中が沸きました。そこで今回は、バレーボール女子日本代表のOH・宮部藍梨選手の幼少期からのプロフィールや経歴について調べてみました!

目次

宮部藍梨(みやべ あいり)選手のプロフィール

  • 生年月日:1998年7月29日
  • 年齢:25歳
  • 出身地:兵庫県
  • 身長:181cm
  • 血液型:O型
  • 出身校:米・ミネソタ大学
  • 所属:ヴィクトリーナ姫路
  • ポジション:アウトサイドヒッター(OH)

宮部藍梨選手の経歴

ナイジェリア人の父親と日本人の母親の間に誕生した宮部藍梨選手。3歳下の妹・宮部愛芽世さんも同じくバレーボール選手で、現在は大学女子バレーを代表する強豪・東海大学女子バレーボール部に所属しています。2022年バレーボール女子世界選手権では姉妹揃って日本代表に選出されました。

尼崎市立金楽寺小学校時代

宮部藍梨選手がバレーボール競技を始めたのは小学3年生の時。始めたきっかけは、人数不足のチームに助っ人を頼まれたからだそうです。自分の意思で始めたわけではなかったので、バレーボールを辞めたいと思うこともありましたが、自分が抜けるとチームが試合に出られなくなることもあり続けていたそうです。そして、宮部藍梨選手が誘ってチームに入った子もいたため、自分だけ辞めるのは申し訳ないと思い、小学生時代は辞められなかったそうです。

金蘭会中学校時代

そんな宮部藍梨選手ですが、中学校は大阪府にあるバレーボールの強豪校・金蘭会中学校に進学。中学3年生の時には大阪北選抜のメンバーとして全国都道府県対抗中学大会(JOC)に出場し、見事優勝を果たしました。そして、最も将来有望な選手に与えられるJOC・JVAカップを受賞しています。もともとバレーボールに対してそこまで貪欲ではなく、高校では続けるつもりは無かったという宮部藍梨選手でしたが、JOC・JVAカップの受賞や、様々な年代の選手と接する機会が増えたことにより、少しずつ意欲的になっていったそうです。

金蘭会高等学校時代

高校1年生

2014年、高校はそのまま金蘭会高等学校に進学。そして同年、2020年東京五輪へ向けた日本バレーボール協会の集中強化対象「Team CORE」に選出されます。女子は8名が選出され、大竹里歩選手、宮下遥選手らの日本代表メンバーと共に、最年少の年代の一人として選ばれました。2014年10月に開催されたアジアユースバレーボール選手権(U-17)では優勝に大きく貢献し、宮部藍梨選手はMVPも獲得。また、2015年1月の春高バレー(全日本バレーボール高等学校選手権大会)には1年生エースとして出場し、チームを初優勝へと導きました。そして1年生で高校3冠(インターハイ・国体・春高)を達成しています。

高校2年生

2015年4月、高校生で唯一バレーボール日本女子代表に選出され、7月10日のワールドグランプリ・イタリア戦の第2セットから出場。18得点を挙げ、シニア国際大会デビューを飾りました。

高校3年生

2年生は無冠で終わった金蘭会高校でしたが、3年生ではインターハイで準優勝、国体で優勝、春高バレーでベスト4の結果を残しました。金蘭会に在学中の6年間の間に4回「辞めたい」と監督に申し出たそうですが、4回とも辞めることに失敗したそうですよ。

大学時代

神戸親和女子大学/サウスアイダホ大学

女子の場合、高校時代に活躍した選手はそのままVリーグに進むケースが多く、もちろん宮部藍梨選手にも声が掛かりましたが、アメリカ留学を望んでいた宮部藍梨選手は神戸親和女子大学への進学を選びました。そして、2017年9月より米・サウスアイダホ大学(2年制)に留学。学業と競技の両立を図りました。2年生の時には2年制大学全米大会で優勝し、MVPにも選出されました。

ミネソタ大学時代

2019年には、より厳しい環境を求めミネソタ大ツインシティー校に編入。同大学ではアジア・中東学科を専攻していました。そして2年後にはミネソタ大大学院に進学し、スポーツマネジメントを専攻。大学スポーツが盛んな国で大会運営やスポーツビジネスの研究に励みました。ミネソタ大学では、2008年北京五輪でアメリカ男子代表を金メダル、2012年ロンドン五輪ではアメリカ女子代表を銀メダルに導いたヒュー・マッカーチョン氏が監督を務めており、宮部藍梨選手も3年間指導を受けたそう。そして練習を重ね、技術を磨くも、ずっと控え選手だった宮部藍梨選手は、将来を模索する中で就職活動にも取り組み、オンライン面接も受けていたそうです。

6年ぶりに日本代表に復帰

転機は突然やってきました。大学院卒業前の3月、高校2年生で宮部藍梨選手を日本代表に抜擢した真鍋政義監督が5年ぶりに火の鳥NIPPONの監督に復帰し、宮部藍梨選手は再び招集を受けました。そして、真鍋監督が立ち上げたヴィクトリーナ姫路から獲得オファーが届き、大学院卒業後は同チームに入団することが決まりました。

ヴィクトリーナ姫路時代

2022年5月に大学院を卒業し、ヴィクトリーナ姫路に入団。9月には日の丸を背負ってバレーボール女子世界選手権にも出場しました。また、真鍋監督の助言で、自身初のミドルブロッカーにも挑戦し、チームの世界選手権8強入りに貢献しています。そして、2023年9月16日から開催されたワールドカップバレー2023 女子大会にも出場。宮部藍梨選手の活躍が連日報じられていました。

まとめ

今回は、V.LEAGUE(DIVISION2)のヴィクトリーナ姫路に所属し、火の鳥NIPPONのメンバーでもある宮部藍梨選手のプロフィールや経歴についてまとめてみました。高校卒業後にVリーグという一般的な女子選手とは異なり、少し遠回りをした宮部藍梨選手ですが、幼少期から才能溢れる選手だったのでしょう。今では女子日本代表に欠かせない選手の一人にまで成長しました。残されたパリ五輪への切符は5枚。引き続き、宮部藍梨選手の活躍に期待しています!

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