【ラグビーワールドカップ 2023】堀江翔太の幼少期からの経歴           

【ラグビーワールドカップ 2023】堀江翔太の幼少期からの経歴 

いよいよ4日後に迫ったラグビーワールドカップフランス大会。日本の初戦は9月10日の対チリ代表。そして2戦目は9月18日の対イングランド代表と続きます。2大会連続での決勝トーナメント進出の期待がかかる日本代表ですが、その中で4大会連続W杯日本代表に選出されているのが堀江翔太選手です。そこで今回は、日本代表の最年長選手でもある堀江翔太選手の経歴についてご紹介します!

目次

堀江翔太(ほりえ しょうた)選手のプロフィール

  • 生年月日:1986年1月21日
  • 年齢:37歳
  • 出身地:大阪府吹田市
  • 身長:180cm
  • 血液型:A型
  • 出身校:帝京大学経済学部経済学科
  • 所属:埼玉パナソニックワイルドナイツ
  • ポジション:HO

堀江翔太選手の経歴

吹田市立千里新田小学校時代

堀江翔太選手がラグビーを始めたのは小学5年生の時。それまでサッカーをするもそこまで楽しめず、親の勧めで吹田ラグビースクールに入校しました。入校当初は大柄な体に似合わず母親にしがみつき、なかなか練習に参加しようとしなかったそうです。当時のコーチも「静かな子」との印象が強かったと語ります。しかし、小学6年生の時には身長175cm、体重77kgとひときわ大きかった堀江翔太選手は、サッカーで培った走力も生かし、すぐにチームの中心選手となりました。

小学6年生で「花園」に憧れる

小学6年生の11月、東大阪市花園ラグビー場で開催された、府内のスクールが集まる大会に参加した堀江翔太選手。そこで、同世代の選手の上手さに驚いたといいます。試合の空き時間、仲間が遊ぶ中、堀江翔太選手は他のチームの選手のプレーを食い入るように見ていたそうです。そして「またここでプレーしたい」と感じ、高校ラグビーの聖地・花園に憧れを抱くようになりました。

吹田市立南千里中学校時代

堀江翔太選手が進学した吹田市立南千里中学校にはラグビー部が無かったため、中学ではバスケットボール部に所属。部活に力を注ぐ一方、時間があれば日曜日に吹田ラグビースクールの練習にも参加していました。堀江翔太選手はバスケットボールで磨いたパスをラグビーに生かし、バックス顔負けのパサーとなる基礎を培いました。

中学3年生で選抜チームに選出される

中学3年生の夏、吹田市や周辺自治体のスクールで選抜チームを作ることになり、堀江翔太選手はその選抜チームのメンバーに選ばれました。しかし堀江翔太選手は辞退。辞退の理由は「バスケに集中したい」から。バスケ部でキャプテンを務めていた堀江翔太選手は、中学最後の大会も控えていたため辞退することを決意。ただその時に堀江翔太選手はラグビースクールのコーチに「高校ではラグビーをやる」と告げており、コーチはその言葉を信じ辞退を受け入れたそうです。

大阪府立島本高等学校時代

大阪は高校ラグビーの超激戦区で、花園を目指す子は私立の強豪校に進学するのが当たり前でしたが、堀江翔太選手は公立の島本高等学校へ進学。同校は過去に4度花園出場の実績もあり、「公立で全国へ」という子が集まっていました。しかし、練習環境面では私立校に劣り、ボールを蹴り上げると防球ネットを超えてグラウンド横の名神高速道路に飛んでいく可能性があったり、ナイター設備が無いため、夕方からは数個の工事現場用ライトで照らすだけとなり、パス回しもよく見えない中での練習だったそうです。

中学3年生で強豪校を倒す!

練習環境には恵まれなくても「打倒、私学!」の熱い思いを持っていた部員たち。グラウンドでの練習が終わると、多くの部員は体育館脇にビニールシートで囲い設けられた「筋トレ室」に向かい、1時間ほど筋力トレーニングに励みました。そして3年生時の府予選で同校は、当時4度の全国制覇を成し遂げていた大阪工大高(現・常翔学園高)を準決勝で撃破します。しかし決勝では、同じく全国制覇の経験がある東海大仰星高に完敗し、花園出場の夢は叶いませんでした。

帝京大学時代

大学は関東大学対抗戦グループAの帝京大学に進学。当時の堀江翔太選手の口癖は「ま、こんなもんやろ」。練習で過酷な走り込みを課されても「ま、こんなもんやろ」と涼しい顔をして臨んでいたそうです。堀江翔太選手について当時のチームメイトは「どんなつらいことも、ひょうひょうとこなす」と語っています。また、監督不在時には練習の空気が緩むこともありましたが、堀江翔太選手は絶対に手は抜かず、食事面でも周囲がカップ麺で済ませる中、しっかりと自炊していたそうです。

4年生では主将に就任

主将を任されても常に堂々としていたという堀江翔太選手。主将として挑んだ全国大学ラグビーフットボール選手権大会では、ベスト4という結果を残しました。堀江翔太選手自身は大学ラグビーの頂点には立てませんでしたが、卒業した翌シーズンには関東大学対抗戦を制覇、その1年後には全国大学選手権で初優勝を遂げています。そこから帝京大学ラグビー部のV9がスタートするわけですが、堀江翔太選手が強い帝京大学の基礎を作り上げたのかもしれませんね。

大学卒業後

大学卒業後は三洋電機ワイルドナイツに加入してすぐ、単身でニュージーランドに渡り、カンタベリーアカデミーでラグビー留学を経験しています。1年目はクライストチャーチ・ボーイズ・ハイスクールの用務員をしながら、夕方からアカデミーの練習に参加。2年目はセント・ビーズ・カレッジで日本人留学生にラグビーを教えながらアカデミーに通っていました。当時はカンタベリー州代表を目指していたそうですが、2年で結果が出なかったら帰ると決めていたので、2年で留学を終えて帰国しました。

埼玉パナソニックワイルドナイツ時代

帰国後は、三洋電機ワイルドナイツに再加入し、2009年のカナダとのテストマッチで日本代表に初選出され初キャップを獲得。そしてトップリーグのベスト15に選ばれました。そして2010年にはトップリーグの年間最優秀選手(MVP)に輝き、2年連続でベスト15に選出されました。

2011年ラグビーワールドカップに初出場

ラグビーワールドカップ2011 ニュージーランド大会の日本代表メンバーに選ばれ、W杯初出場を果たす。W杯では3試合に出場。日本代表は1引き分け3敗でプールA最下位という結果に終わっています。

2014年パナソニックワイルドナイツの主将に就任

2013年にはスーパーラグビーのレベルズに入団し、2014年にはパナソニックワイルドナイツの主将を務めます。このシーズン、ジャパンラグビートップリーグと日本選手権で優勝し、チームは初の2冠達成を果たしました。

2015年ラグビーワールドカップ2015の日本代表に選出

2大会連続でW杯日本代表に選出された堀江翔太選手。イングランドで開催された同大会での日本代表の成績は、プールBで3位という結果に終わっています。しかし同大会ではW杯16連敗中だった日本が、当時世界ランキング3位だった南アフリカを34-32で破るジャイアントキリングを起こし、世界中に「ブライトンの奇跡」と報じられました。堀江翔太選手もこの南アフリカ戦に出場していました。

2019年ラグビーワールドカップ2019の日本代表に選出

2016年、新たにスーパーラグビーに参加する日本チーム「サンウルブズ」の初代キャプテンに就任した堀江翔太選手。2019年には3大会連続でW杯日本代表入り。初の日本開催となった同大会では、日本はプールAで全勝し、史上初となる決勝トーナメント進出を果たしました。決勝トーナメントでは初戦で南アフリカに敗れ、ベスト8という結果で終わっています。

2022年JAPAN RUGBY LEAGUE ONEの初代王者に

5月29日、堀江翔太選手が所属する埼玉パナソニックワイルドナイツがJAPAN RUGBY LEAGUE ONEの初代王者に輝きました。リーグワンアワード2022で堀江翔太選手はMVPだけではなく、ベスト15、選手が選ぶプレーヤー・オブ・ザ・シーズンも受賞しています。

2023年ラグビーワールドカップ2023の日本代表に選出

リーチ・マイケル選手と共に4大会連続となるW杯に挑む堀江翔太選手。ワールドカップ2019以降は年齢と体の負担を考え、日本代表の活動は辞退していましたが、昨年6月に2年8か月ぶりに代表へ復帰しました。

まとめ

今回は、ラグビー日本代表HO(フッカー)堀江翔太選手のプロフィールや経歴についてまとめてみました。今大会では主に後半からの出場が予定されており、「ラスボス」としての活躍が期待されている堀江翔太選手。37歳という年齢から、おそらく最後のワールドカップ出場になるかと思いますが、年長者としてチームを引っ張り、是非ともベスト8以上の結果を残してほしいものです。堀江翔太選手の健闘を祈ります!

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