ベルギー・アントワープにて2023年9月30日から開催された世界体操。今大会、男子日本代表は8年ぶりに世界一に輝き、今日本国内で体操競技が再び注目を集めています。そこで今回は、体操男子日本代表の最年少選手でもある三輪哲平選手のプロフィールや経歴について調べてみました!
三輪哲平(みわ てっぺい)選手のプロフィール
- 生年月日:2000年12月21日
- 年齢:22歳
- 出身地:静岡県清水市
- 身長:162cm
- 血液型:不明
- 出身校:順天堂大学スポーツ健康科学部
- 所属:セントラルスポーツ
- 得意種目:跳馬/平行棒
三輪哲平選手の経歴
2歳上の兄の影響で4歳から地元の清水ペガサス体操クラブで体操を始めた三輪哲平選手。始めた当初は週1回の幼児クラスに通っていましたが、小学校入学前に同クラブの選手コースに移り、元日本代表選手で1987年の世界選手権にも出場した寺尾直之コーチの指導を受けました。
小学校時代
選手コースに移って間もない頃、突然「寺尾先生を抜きたい」と言い出した三輪哲平選手。寺尾先生が「先生を抜かすにはオリンピックに出ないと抜かせないぞ」と言うと、三輪哲平選手は「うん、オリンピックに出る」と言ったそうです。寺尾コーチの三輪哲平選手に対する印象は、柔軟性はあるが特別な能力は無かったそうですが、真面目にコツコツと練習に取り組むタイプで、選手にコースに入ってからは1日も練習を休まずに体操に打ち込んでいたとのことです。そして小学1年生で出場した静岡の大会で、マット(側転、倒立前転など)と跳び箱(転回跳び)の2種目で10点満点を叩き出しました。
城南静岡中学校時代
中学は県内にある体操の強豪校・城南静岡中学校に進学した三輪哲平選手。中学3年生の時に出場した全国中学校体育大会(体操競技)では、団体総合で4位、個人総合で14位の結果を残しました。この時、あん馬では3位に入っています。
清風高等学校時代
高校は地元・静岡を離れ、体操の金メダリストを多数輩出している大阪の清風高等学校に進学します。三輪哲平選手の座右の銘は「1日1日を無駄にしないこと」だそうで、高校時代は入学から2年半もの間実家に帰らず、日々の練習を大事にしていたそうです。そしてその努力が実を結び、高校2年生の時には国際ジュニア体操で優勝。高校3年生の時には、インターハイで団体と個人、種目別平行棒で優勝し3冠を達成、11月の体操個人総合スーパーファイナルでは国内のトップ選手12名の中で2位の成績を収めました。
順天堂大学時代
大学は体操の強豪校・順天堂大学へ進みます。高校時代にはインターハイ3冠などの輝かしい成績を収めた三輪哲平選手でしたが、大学時代は肩や腰の故障に悩まされました。大学3年生の時に臨んだ東京五輪代表選考では、最終戦で予選落ちを喫し、補欠として2カ月間、日本代表の合宿に帯同。しかし、当時腰痛を抱えていた三輪哲平選手に五輪出場の可能性はあるわけもなく、一刻も早く家に帰りたい気持ちを抑えながら、代表選手4名のサポートに徹したそうです。
そんな試練の多かった大学時代ですが、2年生と4年生の時には全日本学生体操競技選手権大会の団体総合で優勝を経験。3年生からはキャプテンとして活躍しています。
大学卒業後
大学卒業後は、東京五輪男子日本代表の萱和磨選手や谷川航選手らも所属するセントラルスポーツに入社。この春に大学を卒業したばかりの三輪哲平選手ですが、4月の全日本体操個人総合選手権では個人総合7位、5月のNHK杯では個人総合3位となり、9月30日開幕の世界選手権の初代表を掴みました。しかし、9月21日のオランダでの事前合宿練習中に鉄棒で落下。左肩肩鎖関節を負傷し、9月29日に世界選手権を欠場することが発表されました。三輪哲平選手の代わりに、補欠の杉本海誉斗選手が出場しています。
まとめ
今回は、体操男子日本代表でセントラルスポーツ所属の三輪哲平選手をご紹介しました。念願の世界選手権初代表だったのにもかかわらず、故障による直前での離脱は無念だったに違いありません。しかしパリ五輪まではあと9カ月あります。しっかり気持ちを切り替えて、日本代表への復帰とオリンピックでのメダル獲得を目標にまた頑張ってほしいですね。三輪哲平選手のこれからの活躍に期待です!