2023年9月8日に開幕を控えているラグビーワールドカップ2023。ラグビーW杯は夏季オリンピック、FIFAワールドカップに次ぐ、世界三大スポーツ祭典と呼ばれており、世界中から注目されています。そこで今回は、ラグビー日本代表で主将を務める姫野和樹選手の経歴についてまとめました!
姫野和樹(ひめの かずき)選手のプロフィール
- 生年月日:1994年7月27日
- 年齢:29歳
- 出身地:愛知県名古屋市中村区
- 身長:187cm
- 血液型:B型
- 出身校:帝京大学医療技術学部スポーツ医療学科
- 所属:トヨタヴェルブリッツ
- ポジション:NO8
姫野和樹選手の経歴
名古屋市立岩塚小学校時代
日本人の父親とフィリピン人の母親、姉、妹の5人家族である姫野和樹選手。父親は近所の鉄工所に勤務していて、毎月給料日になると母に生活費をいくらか渡し、残りは両親がパチンコで散財していました。そのため、姫野家は日々の生活に困窮するくらい貧しく、学校の給食費も滞納ばかりだったそうです。
優しい駄菓子屋のおばちゃん
そんな姫野家ではゲームやおもちゃは買ってもらえるはずがなく、友達と遊ぶ時は外か、駄菓子屋に集まりメンコやベーゴマ、けん玉をして遊んでいました。姫野和樹選手はもちろんお小遣いはありませんが、駄菓子屋のおばちゃんは「お金がない子でも楽しめるように」とおばちゃん考案のチャレンジゲームで遊ばせてくれたそうです。
家に友達を一度も呼んだことがない
貧乏なことが恥ずかしく、家に友達を一度も呼んだことがない姫野和樹選手。同級生に家を知られるのも嫌で、わざわざ遠回りをして帰宅したこともありました。決して居心地の良い家ではなかったので、家にいる時間を減らすため、夜10時過ぎまで毎日外で遊んでいたそうです。冬は日没も早く寒いため、夕方以降は一人で外で遊んでいることもありました。
名古屋市立御田中学校時代
これまで色々なスポーツを経験してきて、どのスポーツも人並み以上にこなせた姫野和樹選手。小学校時代には地元の野球チームやサッカーチームの体験にも参加しましたが、野球は用具を一式揃えるのにお金がかかり、サッカーも月謝が払えないことから、どちらも体験で終わってしまいました。
サッカーに関しては、体験期間が終わり辞めることを告げると、コーチが家にまでやってきて「このまま続けたら絶対に日本代表になれる」と引き留めてくれたそうです。そんなこともあり、中学ではサッカー部に入部しようと思っていました。
ラグビーとの出会い
中学入学時には身長170cmだった姫野和樹選手。それがラグビー部顧問の松浦先生の目に留まり、ラグビー部に誘われました。そして軽い気持ちで仮入部してみましたが、すぐにラグビーにハマってしまったとのこと。
破れた練習用ジャージを買い替えることができず、スパイクどころかつま先が破け親指が見える運動靴で毎日練習していました。しかし、練習は一度も手を抜いたことはなく、昼休みも自主練、放課後は誰よりも早くグランドに出て、誰よりも遅くまで練習していたそうです。そしてめきめきと力をつけていきました。
春日丘高等学校時代
高校は春日丘高等学校(現・中部大学春日丘高等学校)に進学しラグビー部に入部。高校時代のポジションはLO(ロック)でした。1年生と2年生の時に全国高等学校ラグビーフットボール大会に出場し、1年生の時は1回戦、2年生の時には2回戦で敗退しています。在学中、ジュニア・ジャパン「IRBパシフィックラグビーカップ2013」にフォワードとして選出され、また、U20セブンズ日本代表にも選出されました。
花園常連校ではなく春日丘高等学校選んだ理由
中学3年生の時、全国大会常連の名古屋市立西陵商業高校(現・西陵高校)からも誘いがありましたが、姫野和樹選手はもう1校、熱心に誘ってくれた春日丘高校を選びました。同校は県大会では準優勝の経験があるものの、花園出場は未経験で、姫野和樹選手は自分の力でチームを花園出場に導けるかもしれないと考えたそうです。
しかし、同校は私立で公立校よりも学費が高い。姫野家にはとても払えないので、学費を減免してもらえる推薦で合格する以外に道はありませんでした。勉強嫌いだった姫野和樹選手は、内申点も足りておらず大ピンチでしたが、中学の先生らに支えられ猛勉強を開始。なんとかギリギリで同校に合格しました。
春日丘高校ラグビー部監督・宮地真先生
宮地先生はラグビー未経験ですが、学校の都合でラグビー部の顧問になり、独学でラグビーを学んだそう。そして、超弱小チームを県内有数の強豪校に育て上げました。そんな宮地先生は学業を疎かにすることも許さず、テスト前には赤点を連発する姫野和樹選手を自宅に呼び、夜遅くまで勉強を教えてくれたそうです。
また、金銭面でもいつも気に掛けてくれていて、ラグビーの夏合宿費用が払えなかった時は、宮地先生がポケットマネーで合宿費を立て替えてくれたこともあったそうです。
帝京大学時代
大学は堀江翔太選手、流大選手ら、日本代表選手を7名輩出している強豪・帝京大学に進学。同大学は2009年から全国大学ラグビーフットボール選手権大会で9連覇を達成しており、2013年に入学した姫野和樹選手は、在学中に4回優勝を経験しています。また、2015年の第52回日本ラグビーフットボール選手権大会で帝京大学がNECを破った試合にも途中出場しています。
姫野和樹選手のラグビー人生の中での一番の出会いは、当時の帝京大学ラグビー部監督・岩出雅之先生だといいます。岩出先生は、姫野和樹選手の弱さは心の未熟さからきているものだとすぐに見抜き、姫野和樹選手には特に厳しく指導したそうです。
トヨタヴェルブリッツ時代
大学卒業後はトヨタヴェルブリッツに加入。入社1カ月後にはキャプテン就任を打診され、これを快諾しました。最初はチームメイトにキャプテンとして相手にされず、一人部屋で涙を流す日々でしたが、やがて毎晩10時まで近所のカフェでチームをよくするためのアイデアを出し続けるなど、並々ならぬ努力を続けました。8月18日のジャパンラグビートップリーグ第1節のヤマハ発動機ジュビロ戦に先発出場し、公式戦初出場を飾りました。
2017年日本代表初キャップ
11月4日に行われたリポビタンDチャレンジカップ2017の対オーストラリア代表で先発出場。日本代表初キャップを獲得しました。そして、同年12月にはスーパーラグビー「サンウルブズ」の2018年スコッドに選出されました。
2019年8月にはラグビーワールドカップ2019の日本代表に選出され、日本代表の史上初ベスト8入りに貢献しました。
2023年7月から日本代表のキャプテンに就任
7月15日のリポビタンDチャレンジカップ2023 All Blacks XV戦で初めて日本代表のキャプテンを務め、その後行われたパシフィックネイションズ3戦でもキャプテンとして出場。そして8月15日、2大会連続でラグビーワールドカップ2023フランス大会の日本代表に選出され、同大会でもキャプテンを務めることが決定しました。
まとめ
今回は、ラグビー日本代表のNO8、姫野和樹選手についてまとめてみました。貧しかった姫野和樹選手の幼少期、姫野和樹選手を含め兄弟3人の苦労は想像を絶するものがあります。ラグビーに出会えたことで姫野和樹選手の人生は好転し、周囲の人々に支えられ、日本代表にまで成長を遂げました。姫野和樹選手の活躍は、同じく貧しい家庭で育ち、お金が無くて夢を諦めようとする子供たちに、大きな希望を与えてくれたのではないでしょうか。姫野和樹選手のこれからの活躍を楽しみにしています!