「元公務員ランナー」としての活躍で注目を集めた陸上競技・男子マラソンの川内優輝選手。
プロランナーとなった現在も国内外のレースに積極的に参加し、所属先のあいおいニッセイ同和損害保険と行う「マラソンキャラバン」では、地域振興にも意欲的に取り組む「オンリーワンのプロランナー」として活躍中です
そこで今回は、ギネス世界記録保持者でもある川内優輝選手の幼少期からのプロフィールや経歴についてご紹介します!
川内優輝(かわうち ゆうき)選手のプロフィール
- 種目:中距離走/長距離走/マラソン
- 生年月日:1987年3月5日
- 年齢:36歳
- 出身地:東京都
- 身長:175cm
- 体重:62kg
- 血液型:A型
- 出身校:学習院大学法学部政治学科卒業
- 所属:あいおいニッセイ同和損害保険
川内優輝選手の経歴
東京都出身、埼玉県育ちの川内優輝選手。父親は高校時代に国体に出場した経歴を持つアマチュアボクサーだったそうです。そんな川内優輝選手の両親は、運動で丈夫な体をつくり健康に育ってほしいと願い、川内優輝選手がランニングを始めるきっかけとなりました。
久喜市立砂原小学校時代
1年生の頃から近所の公園などで陸上の練習を始め、6歳の時にはちびっこ健康マラソン大会に出場し、ランニングデビューを果たしました
レベルアップを目指し、両親はハードなトレーニングを課すこともありましたが、幼少期の川内優輝選手は辛さよりも、自己記録を更新してご褒美をもらったり、大会で入賞し賞状をもらったりすることの喜びの方が勝っていたそうです。
4年生になると、市民マラソンの小学生の部に出場するようになり、それがきっかけとなり高学年になると埼玉県内を中心に、県外の大会にも出場するようになります。
鷲宮町立鷲宮中学校時代
中学校では陸上部に所属します。しかし、同校は特別陸上部が強いわけではありませんでした。
3年生の時には、桶川市紅花マラソン大会(5km)で市民マラソン初優勝を経験しました。
埼玉県立春日部東高等学校時代
中学校時代に体験した駅伝に楽しさを感じ、高校は県内の駅伝強豪校・埼玉県立春日部東高等学校に進学します。
入学当初は市民マラソンにも出場するつもりだったのですが、同校の練習は大変厳しく、市民マラソンへのエントリーも制限され、トラックや駅伝の練習ばかりをする日々でした。
また、駅伝のメンバー争いに加わることで無理が祟り、怪我を繰り返してしまうことに。常に痛みを抱えながら走っていて、3年生の時にはインターハイ予選にも出場できず、他のレースもほとんど出場できませんでした。
怪我に悩むようになるまでは、埼玉県駅伝3位入賞や関東高校駅伝7位などの成績を収めていました。
学習院大学時代
同校を選んだ理由の一つは、大学卒業後には町おこしやイベントに携われるような職業に就きたいと考え、学習院大学政治学科を志望。さらに、高校卒業間近に父親が他界し、母子家庭となった川内優輝選手は弟二人のことも考え、公務員を目指す気持ちが強くなりました。
もう一つの理由は、箱根駅伝の常連校を避けるため。高校時代は強迫観念で走っていたところもあり、どうしたらまた楽しく走れるかを考えました。そして陸上が強くない大学へ行こうと決めたのです。
大学時代には関東学連選抜として箱根駅伝に2度出場しています。学習院大学の学生としては史上初めて箱根路を走りました。4年生の8月にはニューカレドニア国際マラソンのハーフマラソン男子の部で優勝しています。
また、フルマラソンのデビューは4年生の2月別府大分毎日マラソンで結果は20位でした。
大学卒業後
2009年に埼玉県庁に入庁
大学卒業後は、当時陸上部のなかった埼玉県庁に入庁。4月より埼玉県立春日部高等学校定時制に埼玉県職員として勤務。夜間高校勤務の特性を活かして、午前中に練習するなどしてトレーニングを上手くこなしました。
そして「市民ランナー」として数々の大会に出場し、20010年1月に参加した第11回谷川真理ハーフマラソンでは優勝、東京マラソン2010では4位に入るなど活躍を見せます。
2011年世界陸上競技選手権テグ大会で17位
東京マラソン2011で当時の自己ベストを更新する2時間8分台を記録し、日本人ではトップの3位に入ります。日本陸上競技連盟の代表選考基準をクリアした川内優輝選手は、世界陸上テグ大会の男子マラソン日本代表に内定しました。
世界陸上の本番では、レース前半は先頭集団にいましたが、16km付近で集団から離れてしまい、結果は日本人3番手の17位でレースを終えました。
2013年世界陸上競技選手権モスクワ大会で18位
選考レースとなった2月別府大分毎日マラソンでは、同大会新記録となる2時間8分15秒を記録し優勝。世界陸上2大会連続2回目の代表入りを果たしました。
本番は、25℃を超える気候に対応できず、25km付近で2位集団から脱落。日本人4番手の18位でゴールとなりました。
第17回アジア競技大会(2014/仁川)で銅メダル獲得
2014年10月3日開催の同大会では、レース終盤まで優勝したハサン・マハブーブ選手や2位の松村康平選手とデッドヒートを繰り広げるも、最後のトラック勝負で離され、惜しくも3位となりました。
2016年世界陸上競技選手権ロンドン大会で9位
同大会の国内選考会となった福岡国際マラソンには、右ふくらはぎと左足首を捻挫の負傷を抱えての出場となりました。しかし結果は、日本人トップの総合3位でゴール。2大会ぶり3回目の世界陸上への切符を手にしました。
本番では、レース序盤に転倒などのアクシデントもありましたが、結果は日本人最高の9位でゴールとなりました。
2018年ボストンマラソンで優勝
4月16日に行われた第122回ボストンマラソンでは、気温僅か3℃、激しい雨風という気象条件の中、レース終盤に首位を走っていたジェフリー・キルイ選手をとらえ、ゴール手前40km過ぎで大逆転劇を演じ同大会初優勝を飾りました。
同大会での日本人優勝者は1987年に出場した瀬古利彦さん以来の快挙となりました。
プロランナーへ転向
2019年3月31日をもって埼玉県庁を退職し、4月1日よりあいおいニッセイ同和損保所属のプロランナーに転向することを発表します。
「公務員ランナー」としてのラストランは3月10日のびわ湖毎日マラソンで、冷雨の降り続く悪条件の中、日本人としては2番目、総合8位でフィニッシュしました。
2019年世界陸上競技選手権ドーハ大会で29位
2大会連続4度目の世界陸上男子マラソン日本代表入りを果たす。
本番は深夜にも関わらず、スタート時の気温は29度、湿度49%という気象条件の中出走。レース序盤の10km手前で2位集団についていけなくなり後退。その後もペースは上がらないままゴール。2時間17分台で世界陸上では自身ワーストとなる29位と惨敗に終わりました。
フルマラソンで世界初の100度目のサブ20達成
2020年12月20日に出場した防府読売マラソンでは、38km付近で優勝者の丸山竜也選手に振り切られるまでは先頭争いに加わり、2時間10分台を記録し男子総合を2位でフィニッシュ。
この結果により、「フルマラソン100回目のサブ20(2時間20分未満)」の世界新記録を樹立し、ギネス世界記録にも認定されました。
2023年バンクーバー・マラソンで4年ぶりの優勝
今回が自身126回目のマラソンとなった川内優輝選手。2時間17分5秒のタイムで通算42回目の優勝を果たしました。
ちなみに、2019年に同大会に出場した時は、当時婚約者で2019年に結婚した元実業団選手・水口侑子さんとともに参加し、歴史的なアベック優勝も遂げています。
まとめ
今回は、5月8日(日本時間)に開催されたバンクーバー・マラソンで優勝を果たした、男子マラソン・川内優輝選手のプロフィールや経歴についてまとめてみました。
他のマラソン選手とは違い、強豪校から実業団へ進むのではなく、地域貢献など陸上競技以外の部分でも一本筋の通った川内優輝選手。
現在36歳の川内優輝選手は、年齢的にはベテラン選手ですが、ギネス世界記録の更新やマラソンを通じての町おこしなど、まだまだ活躍が期待できそうですね。川内優輝選手の今後の活躍を応援しています!