【男子卓球】水谷隼の経歴や家族構成!東京オリンピックまでの功績も紹介

【男子卓球】水谷隼の経歴や家族構成!東京オリンピックまでの功績も紹介

男子卓球界のスター水谷隼選手。日本卓球界のエースとして活躍するまでにさまざまな苦悩や葛藤があったようです。

今回は、そんな水谷隼の幼少期からの生い立ちや経歴や家族情報についてまとめてみました。

目次

水谷隼の生い立ちや経歴

それでは早速ですが、水谷隼選手の生い立ちや経歴についてまとめてみました。幼少期から高校、現在までどのような人生を送ってきたのか紹介していきます。

水谷隼の幼少期

出典:朝日新聞

静岡県磐田市で生まれた水谷選手。

そんな水谷選手は、父が代表を務めている豊田町卓球スポーツ少年団に第1期生として入り、5歳から卓球を始めたそうです。もともとは右利きだった水谷選手ですが、両親が将来のことを考えて卓球の利き手を左手に矯正したとのことです。

水谷隼の小学生~中学時代

水谷選手は、磐田市立磐田北小学校 1年生のときに全日本卓球選手権大会バンビの部(小学校2年生以下)に初めて出場し、準優勝を治めています。

さらに、翌年同じく全日本卓球選手権大会バンビの部に出場し、見事優勝を勝ち取りました。

そして、中学校に上がるときには卓球を本格的にやっていきたいということで、福原愛さんがいた青森山田中学校に転校し、寮生活を送っていました。

中学生でありながら、静岡県を離れて青森県で寮生活をしながら卓球を極めていたのはすごいですよね。中学2年生のときに出場した全日本卓球選手権ジュニアの部では史上最年少での優勝を治めています。

水谷隼の高校時代

出典:四国新聞社

水谷選手は卓球の名門である青森山田高校に進学しました。

そして、なんと当時の男子最年少記録である15歳10ヶ月で世界卓球選手権日本代表に選出されました。

しかし、強化選手としてドイツに留学した際、ピザとコーラという不健康な食事を続けていたことが原因で右脛を疲労骨折してしまいました。

この出来事により、今まで練習を欠かすことのなかった卓球から半年間も離れなければならないという苦しみを味わったそうです。また、その後はバランスの良い食事をとるように心がけているそうです。

そして、2005年にはアジア選手権でアテネオリンピック銀メダリストである王皓を破るという快挙を成し遂げます。

しかし、2006年ほ初めごろにも足を疲労骨折するトラブルに見舞われてしまいます。それでも水野選手はトラブルに負けず、必死に練習を続けました。

その練習の結果、2006年の全日本卓球選手権では、男子シングルス・男子ダブルス・男子ジュニアの部シングルスを制し3冠を達成したのです。さらに、当時の史上最年少記録であるの17歳7ヶ月という若さで全日本卓球選手権優勝を決めました。

水谷隼の大学時代

2007年には名門卓球部のある明治大学に進学した水谷選手。その後の2008年の北京オリンピックでは団体で5位入賞を果たしました。

また、2009年には中国の中国スーパーリーグの浙商銀行に加入します。そして、第5回東アジア競技大会では、団体戦で世界ランキング1位の中国の王皓を破るという快挙を成し遂げます。

これらの結果により、水谷選手は自身の世界ランキングも初のトップ10入りとなりました。

2010年には、全日本卓球選手権において史上初の男子シングルス5連覇を達成しました。また、2010年から再び中国の中国スーパーリーグの四川郵儲・先鋒汽車に加入します。

水谷隼の大学時代卒業後~東京オリンピックまで

出典:サンスポ

水谷選手は2012年に明治大学を卒業し、4月1日付でスヴェンソンと所属契約を結びました。

しかし、メダルが期待されて臨んだロンドンのリンピックでは思うように結果が出せず、ストレスから不眠症になり、飲酒をして睡眠を取ることもあったそうです。たしかに、期待の声が大きすぎると背負ってしまうプレッシャーも相当ですよね。

それでも水谷選手は折れません。その後に開かれた2012年世界卓球選手権大会では男子団体を銅メダルに導きます。

さらに、2013年の世界卓球選手権パリ大会ではダブルスで銅メダル、全日本卓球選手権大会では3年ぶり6度目のシングルス優勝を果たします。

そして、プライベートでは2013年には高校時代に知り合った一般の女性との結婚を発表しました。

2016年にはロシア・プレミアリーグのオレンブルクのFakel Gazpromに移籍し、技術を磨いていきました。

そして、2016年のリオデジャネイロオリンピックでは、シングルスで男女通じて日本人初のメダルとなる銅メダルを獲得しました。さらに、シングルスだけでなく男子団体にも初の銀メダルをもたらしました。

その後も、2019年の全日本選手権では2年ぶり10度目の優勝で最多優勝記録を更新しています。

最後となった東京オリンピックでは、伊藤美誠選手と混合ダブルスで優勝を飾りました!「卓球界のレジェンド」と呼ばれた水谷選手は、オリンピック後の2021年に現役引退し、その卓球人生を終えました。

水谷準の家族構成や実家の情報

ここで、水谷準選手の気になる家族構成や実家の情報についても調べてみました。

水谷準の両親・兄弟(姉妹)・家族構成

水谷選手は4人家族だそうです。

家族構成としては、

・父:水谷信雄さん
・母:水谷万記子さん
・兄:水谷準選手
・妹:水谷茉央選手

ちなみに、水谷選手の両親は共に卓球経験者であり、父・信雄さんは水谷選手が子どもの頃に通っていた「豊田町卓球スポーツ少年団」の代表も務めています。

また、妹の茉央さんも卓球選手です。

さらに、2013年に結婚したお相手の女性も元卓球選手だということです。奥様は、水谷選手のために調理師専門学校に通い、健康的な料理を作って水谷選手を支えてきたそうです。

家族全員が卓球経験者ということで衝突をすることもあったと思いますが、経験者だからこそ分かり合える瞬間やサポートに努めていたそうです。

こうした家族のサポートも、水谷選手の強さの秘密かもしれませんね。

水谷隼選手のプロフィールと戦績

名前水谷隼(みずたに・じゅん)
生年月日1989年6月9日
身長172cm
体重63kg
出身地静岡県磐田市
出身校明治大学
所属木下グループホールディングス
主なタイトル
(2019年以降)
平成30年度全日本卓球選手権大会(男子シングルス)優勝(2019年)
ITTFワールドツアー・ブルガリアオープン(混合ダブルス)優勝(2019年)
ITTFワールドツアー・グランドファイナル(混合ダブルス)準優勝(2019年)
ITTFワールドツアー・ドイツオープン(混合ダブルス)準優勝(2020年)
ITTFワールドツアー・カタールオープン(混合ダブルス)優勝(2020年)
東京オリンピック(混合ダブルス・伊藤美誠ペア)優勝
東京オリンピック(男子団体)3位

まとめ

今回は、水谷隼の幼少期からの生い立ちや経歴、家族構成についてまとめてみました!

高校生のころから日本代表として活躍している水谷準選手ですが、足の怪我や世間からの冷たい声などさまざまな試練にも立ち向かってきました。こうした折れない心や家族の支えもまた世界一の秘訣かもしれませんね。

惜しまれながらも2021年の東京オリンピック後に引退をしていますが、これまでに残した水谷選手の功績は卓球会に大きな爪痕を残したと言えるでしょう。

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