【男子・水泳選手】瀬戸大也の幼少期からのプロフィールや経歴        

【男子・水泳選手】瀬戸大也の幼少期からのプロフィールや経歴    

開幕が来月に迫った世界水泳選手権。7月14日から7月30日の日程で、競泳はマリンメッセ福岡A館を舞台に熱い戦いが繰り広げられます。

今大会に男子200m個人メドレー、400m個人メドレーで出場予定の瀬戸大也選手ですが、世界水泳で4年ぶり5つ目の金メダル獲得に大きな期待が寄せられています。

今回はそんな瀬戸大也選手の、プロフィールや経歴についてまとめました!

目次

瀬戸大也(せと だいや)選手のプロフィール

  • 生年月日:1994年5月24日
  • 年齢:29歳
  • 出身地:埼玉県入間郡
  • 身長:174cm
  • 血液型:A型
  • 出身校:早稲田大学スポーツ科学部
  • 所属:CHARIS&Co.
  • 競技種目:個人メドレー/バタフライ/自由形

瀬戸大也選手の経歴

幼い頃は水が苦手だったという瀬戸大也選手ですが、そんな瀬戸大也選手が水泳を始めたのは5歳の時。当時瀬戸大也選手はサッカーがやりたかったそうですが、体験に行ったサッカー教室の練習は週1回、近所にあった水泳教室は毎日通っても大丈夫とのことで、母親に勧められるがままに水泳の方を始めました。

毛呂山町立泉野小学校時代

水泳を始めた当初から通っていたのがJSS毛呂山スイミングスクール。小学校低学年の頃から「オリンピックで金メダルを取る」と公言していました。

瀬戸大也選手は上級生の泳ぎを見て、見様見真似で4泳法を習得。また、コーチの指導方針もあり、大会に出る時は、個人メドレー以外の種目にもエントリーし、4泳法を満遍なく泳げる選手を目指しました。

そして、小学校時代から全国大会に出場しています。

毛呂山町立毛呂山中学校時代

幼少期からのライバルは、同学年でリオ五輪男子400m個人メドレー金メダリストの萩野公介さん。

二人が初めて同じ舞台に立ったのは小学3年生の時のJOCジュニアオリンピックでした。この時、初めて同年齢の選手に負けた瀬戸大也選手は、相当悔しい思いをしたそうです。そして、その後も萩野公介さんに連敗を重ねます。

そんな瀬戸大也選手が萩野公介さんに初めて勝ったのは中学2年生の時。ジュニアオリンピックの400m個人メドレーで、当時の日本中学新記録をマークし優勝。萩野公介さんから始めた勝利を奪い取りました。

この勝利をきっかけに、互いに良きライバルとして認め合い、「二人でオリンピックに出よう」と約束したそうです。

埼玉栄高等学校時代

県内の水泳強豪校である埼玉栄高等学校に進学。インターハイの400m個人メドレーでは3連覇を達成しています。

高校3年生の4月に出場した日本選手権はロンドン五輪予選も兼ねていました。200m、400m個人メドレーともに決勝で派遣標準記録を突破したものの、萩野公介さんらに敗れて3位に。オリンピック出場は叶いませんでした。

その後、モチベーションが低下してしまった瀬戸大也選手ですが、萩野公介さんがロンドン五輪で銅メダルを獲得したことを受け、再び奮起。5カ月後に行われた国体では4冠を達成しています。

早稲田大学時代

大学1年生

大学は早稲田大学スポーツ科学部に進学します。大学入学後すぐに出場した日本選手権では200m、400m個人メドレーどちらも萩野公介さんに次ぐ2位入り、世界選手権への切符を手にしました。

その世界選手権では、200m個人メドレーでは7位に終わりましたが、400m個人メドレーでは決勝でライバル・萩野公介さんらを破り、見事金メダルを獲得。この種目では初となる日本人選手の金メダル獲得となりました。

大学2年生

大学2年生の1年間は、長水路の大会では個人メドレーよりもバタフライでの好成績が多かった瀬戸大也選手。200mバタフライでは、日本選手権をはじめ、ジャパンオープンやパンパシフィック選手権、アジア競技大会といった主要競技大会で無敗を誇りました。

個人メドレーでは、パンパシフィック選手権(200m)とアジア競技大会(400m)で銅メダルを獲得しています。

大学3年生

4月開催の日本選手権では、200mバタフライを制し、200m、400m個人メドレーではどちらも萩野公介さんに次いで2位となり、3種目で世界選手権の日本代表に内定しました。

その世界選手権では、200mバタフライと200m個人メドレーではメダルに届かなかったものの、400m個人メドレーでは自己ベストを更新しての優勝を果たし、日本人初となる大会2連覇を達成しました。そして、2016年リオ五輪の代表権を獲得します。

大学4年生

8月に開催されたリオデジャネイロオリンピックでは、400m個人メドレーで銅メダルを獲得。そして同種目でライバル・萩野公介さんは金メダルを獲得し、二人でオリンピックの表彰台に上がりました。

大学卒業後

大学卒業後は、日本国内では数少ない競泳のプロ選手として全日空と所属契約を結び、国立スポーツ科学センターに練習拠点を移しました。

2019年世界水泳選手権で日本人初の金メダル!

この大会では200m個人メドレーで金、400m個人メドレーで金、200mバタフライで銀の3つのメダルを獲得。中でも200m個人メドレーでは、日本人初の金メダリストとなりました。この結果を受け、東京オリンピック代表内定第1号となりました。

1大会で個人種目メダル3つ獲得は日本勢初、また世界選手権で通算4個目の金メダルも日本勢最多という快挙尽くしの大会となりました。

2020年不倫報道で活動停止処分!

2017年に飛込競技選手の馬淵優佳さんと結婚し、2018年と2020年に女児が誕生している瀬戸大也選手。

2020年9月に「デイリー新潮」が瀬戸大也選手の不倫報道を掲載しました。瀬戸大也選手は事実関係を認め謝罪しましたが、その後も不倫相手は複数人いた等と報道が続き、スポンサー企業は離れ、全日空からも所属契約を解除されます。

また、日本水泳連盟からは年内の活動停止処分を言い渡され、約5カ月間競技から離れることになりました。

2021年東京オリンピックに出場!

バタフライ200m、個人メドレー200m、400mの3種目に出場した東京オリンピック。400m個人メドレーは予選敗退、200mバタフライでは準決勝敗退、そして200m個人メドレーでは4位に終わり、2大会連続でのメダル獲得とはなりませんでした。

2023年世界水泳選手権の日本代表に内定!

4月に行われた日本選手権では5種目にエントリーするも、「パリ五輪で戦う種目を全力で」とのことで、個人メドレー2種目以外の決勝は棄権することを決めました。

そして、個人メドレー200mと400mの個人2種目で挑む今回の世界水泳。同大会での5個目の金メダルを手にするために、現在調整を続けています。

まとめ

日本の男子競泳選手で、2023年7月14日開幕の世界選手権に出場する瀬戸大也選手の経歴やプロフィールをまとめてみました。

不倫騒動が原因でブランクを経験し、またスポンサーが離れる等取り巻く環境にも変化がありましたが、そこで腐ることなく2024年パリオリンピックを目指す瀬戸大也選手。この騒動をきっかけに、水泳に対する思いや、周囲に対する思いにもきっと変化があったはずで、それが今の競技生活に活きているのかもしれませんね。

世界選手権での瀬戸大也選手の健闘を祈っています!

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